「こーんばんは、ミケさんv」
「帰れと言ってるでしょう、魚類」
「毎度ひどいですねえ」
そう言いつつもけろりとした表情で、いつものようにミケに歩み寄るリリィ。
「どうしたんですか、今日は。お勉強ですか?」
ミケの前にある机に広げられた本やらレポート用紙やらを覗き込んで、楽しそうに言う。
「ええ、まだまだ僕には勉強しなくちゃいけないことが山ほどありますからね、あなたと違って」
不機嫌そうにミケが言えば、リリィは楽しそうにくすくすと笑う。
「いやですねえミケさん、勉強することがない人なんていませんよ?」
「…それは、そうですけど」
「あら、ここ、間違ってますよ」
「え」
リリィの指差した箇所をぎょっとして見やって、それから魔道書を確かめると、確かに綴りの間違いがある。
「それから、ここも。引用、この本じゃないですよね。この宗派はこの印を使いません」
「え、あ」
「そもそもこの印を使い出した由来というのが…」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
ミケの書いた物とその出典を指差しながら、解説を始めるリリィを、あわてて止める。
「…どうしたんですか?」
「それはこっちのセリフですよ!なんなんですか、横からあなた!」
先ほどよりさらに不機嫌な顔を貼り付けて言い募って。
リリィはきょとんとしたまま、首をかしげた。
「だって、お勉強終わらないとミケさん私と遊んでくれないでしょう?」
「終わっても遊びません!いいから帰れ!」
「まあまあ。この印はもともと、古いルヒテス信仰の分派の分派くらいのマイナーな派閥が使っていたオリジナルの…」
「何事も無かったかのように続けるなー!!」

「……というわけなんですよ。わかりました?」
先ほどまでの何倍ものスピードで仕上がったレポート用紙を前に、ミケはぎりぎりと拳を握り締めながら俯いた。
「……また、憎らしいほどわかりやすいのが腹が立つ……!!」
リリィの教えは的確かつポイントをついたもので、同じような理論がいくつも肩を並べて正直わけがわからなくなっていたのが嘘のようにすっきりと理解できた。
レポートも完璧に近い出来で、これならばギルドでの評価も上がるだろう。
はあ。
ミケは諦めたように、ため息をついた。
「どうしたんですかミケさん、せっかくお勉強が終わったのに浮かない顔ですねえ」
にこにこ。
相変わらずの笑顔がまた腹立たしい。
「……いえ。あなたに敵わないことを再確認して鬱になっただけです」
「あらいやだ、ミケさんったらそんなこと今更」
「そろそろ殴ってもいいですか」
「んーもー。でも、私なんてまだまだですよ」
「嫌味ですか」
「いえいえ、そんなんじゃなくて。私に魔法を教えてくださった方に比べれば、私なんてまだまだです」
リリィが意外なことを言ったので、ミケはきょとんとして問い返した。
「……あなたに魔法を教えた人、ですか?」
「キル様ですよ、もちろん」
「キルさんなんですか?!」
思わず声が大きくなる。
リリィは当然のことという風に頷いた。
「ええ。チャカ様は魔道にはまったく興味が無いみたいですからねえ。私はキル様に、キャットはカーリィ様に教えていただいたんです」
「あ、えーと。チャカさんのお兄さんでしたっけ」
「ええ、変形術が得意でいらっしゃるんですよ。他の魔法にも精通していらっしゃいますけど」
「へぇ……」
「ま、キル様やカーリィ様に比べたら、私の力も知識も微々たる物ですよ。まだまだ、勉強も修行もしなくちゃですよねー」
「………何ですか?」
「…いえ、あなたの口からそんな言葉が出るなんて、意外で」
努力なんてしなくても、何でもできる人だと思っていたから。
もちろん、そんなことは口が裂けても言ってやらないが。
「失礼ですねえ、私にだってそれなりに向上心とかありますよ?」
「でも……キルさんや、その…えっと、カーリィさん?でしたっけ。そもそも種族からして違うんですから、敵わないのは当たり前なんじゃ?」
ミケが言うと、リリィはぷっと吹き出した。
「な、何ですか」
「ミケさん、それを言うなら、私はチャカ様に力を与えられて、人ではないものになったんですよ?人であるミケさんが、敵わないのは当たり前なんじゃないですか?」
可笑しそうに言われ、むっとして黙り込む。
リリィは楽しそうにくすくすと笑った。
「ミケさんと同じですよ、そんなの関係ないんです。当たり前って自分で枠を作ったら、超えられるものも超えられませんからね。
まあ、私は別にキル様やカーリィ様を負かしてやりたいと思ってるわけじゃないですけど」
「…いいんですか」
「何がですか?」
「僕に、知恵を…力をつけるような真似をして」
「…どういうことです?」
ミケの意図がわからず、リリィは首をかしげる。
ミケは精一杯、リリィを睨みつけてみせた。

「…あなたが僕に与えたその力で、僕はあなたを殺すかもしれないのに」

我ながら。
我ながら、本当にどうかと思う。
が、自分より遥かに強い力を持つ彼女に、そしてその力を惜しげもなく享受して見せる彼女に、本当に何もかもが敵わないと認めるのが悔しくて。
虚勢とわかっていても、言わずにはいられなかった。
「………」
リリィはたっぷり30秒は、目を丸くしてミケを見つめていた。
それだけ彼女を絶句させたというだけで、何かもういろいろと満足かもしれない。
が。
リリィはそれから、ふっといつもの微笑を見せた。
「…そうですね、それも面白いかもしれませんね」
さらにむっとするミケ。
「どうせ出来ないと思ってるんでしょうけど」
「そんなことないですよ」
「あなたにしては下手な皮肉ですね」
「どうしてそう思うんですか?そういうのが自分で枠を作るっていうんですよ」
くすくす。
楽しげに笑うリリィに、憮然として黙り込む。
「ミケさんが私の力を超えて、私を殺したら…それはそれで、面白いかもしれませんね、っていうことです」
「は?」
ミケは盛大に眉を顰めた。
「なんですか、それ。…命が惜しくないとでも?」
「命は惜しいですよ、もちろん」
けろりとした表情でうなずいて。
「でも、命を惜しむあまりに、やりたいことも出来なくなるなんて、勿体無いじゃないですか。
私がやりたいことを、やりたいようにやって、その結果死が訪れるなら、それで別に悔いは無いですよ。
絶対に死なないとわかっている……そんなつまらないゲームに、興味は無いですから」
にこり、と。
それはそれは綺麗に微笑むリリィに、今度はミケが絶句する番だった。
「……」

ああ、やっぱり。
このひとは、どこまでも。

はあ。
ミケはため息をついて、立ち上がった。
「ミケさん?」
きょとんとするリリィを見下ろして、また嫌そうに顔をゆがめて。
「どうし……」
リリィの言葉の続きを、身を屈めて奪ってみせる。
ふわりと止まった時を、ゆっくりと顔を離して動かせば。
「……どうしたんですか?」
ゆったりと微笑んだリリィが、面白そうに聞いてくる。
ミケはますます渋面を濃くして、答えた。
「…家庭教師の、お礼です。遊んで欲しいんでしょう?付き合ってあげますよ」
「…ふふ」
満面の笑みで、リリィがミケの首に腕を回す。

どこまで行っても、勝てる気はしない。
けれど。

あなたが与えたこの力で、いつかあなたを超えてみせる。

“Extracurricular lesson” 2009.6.7.Nagi Kirikawa

何で家庭教師の話になったんだっけ…(笑)確か、あたしの萌えシチュはー、みたいな話の時に家庭教師を挙げたんだと思うんですが(笑)
でもこう、萌えシチュとしての家庭教師ってもっと…違う気がする…(笑)いつの間にかこういう展開になっているのが、リリミケの恐ろしいところです(笑)