こんこん。
ドアをノックするが、返事はない。
レティシアはきょとんとして、それから首をひねった。
「あれ?おかしいな…今日この時間ならいるから来てくれって言ってたのに…」
買い物のついでに、ミケの頼まれ物を買ってきたレティシア。
ミケの連絡の通りの時間に常駐の宿に来たはずだが、ノックをしても返事がない。
こういうことにルーズな彼ではないはずだが…。
「…あれ」
レティシアはドアの縁に目をやって、少し開いていることに気づいた。
「開いてる………ミケー?」
おそるおそるドアに手をかけ、中を覗き込んでみる。
中に人はいない。
「無用心だなぁ…どうしたんだろ」
呟きながら、レティシアは部屋の中に足を踏み入れた。
ドアの正面にある窓も開け放たれ、カーテンが風に吹かれて揺れている。留守という雰囲気ではない。
視線を窓から机へおろしていき…その先へやって、驚きに目を見開く。
「!……」
机の側にあるベッドには、この部屋の今の主が横たわり、気配にも気づかぬほど静かに寝入っていたのである。
レティシアは驚きに大きな声を上げて彼の眠りを妨げなかったことに安堵した。
ベッドの側に歩み寄り、僅かに屈んで呟く。
「疲れてたのかなぁ…」
表情を和らげ、愛しげに彼を見やる。
ゆっくりと上下する胸の上で手を組んで。彼女が入ってきたことにも、まったく気づかずに寝入っているようだ。
閉じられた瞳。長いまつげ。きめの細かな白い肌に行儀良く並んでいる顔の造作は、綺麗と言うよりはどちらかというと愛くるしい印象を与える。が、彼女と対すれば優しい微笑を浮かべ、困難に立ち向かえば凛とした輝きを放つことを、彼女は良く知っていた。
栗色の髪がまつげにかかり、窓から入ってくる風に僅かに揺れる。長い長い髪はまとめられ緩く編まれていて、ベッドにふわりと広がっている。
可愛らしい顔立ちも、胸の上で組まれた手も、ベッドに広がる長い髪も、まるでおとぎ話に出てくるお姫様のようで。
レティシアは飽きることなく、眠っている彼の姿を見つめた。
彼は綺麗で、強くて、優しくて。どんなことにも真摯に立ち向かい、傷ついてもまっすぐに前を見ることをやめない。
決して外見だけでなく、その心根が、生き方が、多くの人を惹きつけていることも、彼女はまた知っていた。年齢、性別…種族すら問わず。まっとうな道を歩むことを選ばなかった者さえも、彼に惹きつけられる。
そのことが、気にならない、と言えば嘘になる。自分の想いが叶う保証もない。
が、ライバルを蹴落とすことが出来るほど、彼女は冷酷にもなれないし、自分に自信があるわけでもない。
何より、そうして彼を手に入れたところで、彼に申し訳ないような気がしていた。
邪魔なものを排除して、残った自分を彼が拾うより、彼が振り向かずにいられないほどのいい女になって、彼に選んでもらうのだ。
そうすることが、真摯な彼の生き方に恥じないやり方だと思う。
「待っててね、ミケ」
小さく言って、レティシアはミケに微笑みかけた。
ミケは相変わらず、すやすやと眠っている。
その整った顔をしみじみと見つめて、レティシアはポツリと呟いた…

>「………キ…キス、しちゃおっかな……」

>「…目が…目が勝手に下半身の方へ…!」

Sleeping Beauty -side A-

「………キ…キス、しちゃおっかな……」
とくん。
自分の鼓動の音が聞こえる。
ミケは今、自分が部屋に入ってきたことさえも気づかずに眠っている。
少し触れた程度では起きないのではないか。
(ば…バレない…よね…)
自分に言い聞かせるようにして心の中で呟く。
どきん、どきん。
鼓動がどんどん早くなっていくのが自分でもわかった。
しかし、身体は何かに吸い寄せられるように、ゆっくりとミケに近づいていって。
まぶたを伏せた綺麗な面立ちが、徐々に視界いっぱいに広がっていく。
(ミケ……っ)
頭の中が、その名前でいっぱいになって。
そっと…彼女の唇が、彼の唇に、触れた。

ぱち。

目の前の瞳が、唐突に、綺麗なブルーになる。
一瞬、状況が理解できなかった。
唇が触れ合ったことが合図のように、閉じられていたまぶたが開いたことを、ようやく理解して。
「んにゃあああぁぁぁっ?!」
奇声を上げて、レティシアははじかれたように身体を起こして後ずさった。
ミケは目を丸くしたまま、身体を起こして彼女を見る。
「レティシアさ……」
「ごっ!ごごごごごめんなさいミケ!私あのっ、そんなつもりじゃな、いやそんなつもりだったんだけど、これはそのなんていうか、不可抗力で、じゃないええと…」
動揺しまくって何を言っているか判らないレティシア。
自分でもそのことだけは理解できたのだろう、慌しく頭を下げる。
「ああもう、ほんっとに、ごめんなさいっ!あ、あの私、じゃあっ!」
そして、くるりときびすを返して、ドアの方へと駆け出した。
ミケは慌ててベッドから降り、鋭く呼び止める。
「待ってください、レティシアさん!」
びく、として立ち止まるレティシア。
恐る恐る振り返ると、すぐ後ろにいたミケと目が合った。
「あー……えっと、その」
気まずそうに視線を上にやるミケ。
レティシアはいたたまれずにうつむいた。
(ああああ、何やってるんだろ私……)
ミケは後ろ手に手を組み合わせて、言いにくそうに口を開いた。
「えっと。……不可抗力、なんですか?」
「えっ」
予想もしないところから切り込まれて、ミケを見上げるレティシア。
ミケはまだ気まずそうに視線を逸らしたまま、続ける。
「その…僕の勝手な思い上がり、なのかなって思って」
「え………」
ミケの言うことを、脳がなかなか理解してくれない。
ミケは恥ずかしそうに、頬を指で掻いた。
「僕が目を開けなかったら…って、ちょっと、思っちゃって。すみません」
「それ、って……」
レティシアが呆然と呟くと、ミケは苦笑した。
「レティシアさんが、僕に…その、キス、したいなって思ってくれるくらい、好きでいてくれたら、嬉しいなって…」
「好きよ!もちろん!」
レティシアが反射的に叫んで、ミケと目が合い、沈黙する。
そして、ぐわ、と顔を真っ赤にした。
「いや、あの、だからそれはその」
ミケも頬を少し染めて、それからふわりと微笑んだ。
「嬉しいな。僕、思い上がっていいんでしょうか」
「思い上がりだなんて、そんな!」
レティシアは手と首を思いきりふった。
「私の方こそ、ミケが私と同じ気持ちならいいなって、でもそんなのあるわけないって、ずっと思って、でも」
「どうして」
そっと、ミケの手がレティシアの肩にかけられた。
「僕はレティシアさんのこと、好きですよ?
…ずっと、いつか伝えられたらって、思ってました」
「ミケ………」
レティシアは、陶然としてミケを見上げた。
夢みたい、信じられない…と、僅かな不安の残る瞳を、安心させるように優しく見つめ返すミケ。
「…続きを」
「え?」
「さっきの続きを、お願いしていいですか」
続き、という言葉に、先ほどのキスのことだと思い当たる。
「……っ」
とたんに、首まで真っ赤になるレティシア。
ミケはそんな彼女に、いとおしげに微笑んだ。
「ああ…でも」
どこか夢見るように、囁く。
「こういうのは、僕からした方が…いいな」
「えっ…」
その言葉の意味を、問い返す間もなく。
ミケの大きな青い瞳が伏せられ、端正な顔がゆっくりと近づいてくる。
「ミケ……」
レティシアも、それに誘われるように目を閉じた……

「……ィシアさん、レティシアさん」
遠くからの呼びかけに、じんわりと意識が覚醒していく。
ぱち。
目を開けると、正面にミケの顔。
そこまでは、先ほどと変わらなかった…はずだが。
ミケはにこりと微笑んだ。
「起こしてしまってすみません。でも、もう夕方ですよ?」
ぱち。ぱちぱち。
数回、瞬きをして。

「…っていうかまた夢なのーーー?!」

がば、と跳ね起きる。
その様子に少し驚いたようだったが、ミケは気を取り直して言った。
「約束の時間になってもいらっしゃらないので、失礼ですけど伺わせてもらいました。
そこにあったので、頂いていきますね。どうもありがとうございました」
頼まれていた包みを持って、にこやかにミケが礼をする。
「は…ははは……」
乾いた笑いで、ひらひらと手を振るレティシア。
「では、時間も時間なので、僕はこれで失礼します」
「うん、わざわざ取りに来てもらって、ごめんね?」
「いいえ、僕がお願いしたんですし。
……ああ、でも」
ミケが言い、レティシアはきょとんとした。
「いくら安宿とはいえ、戸締りには用心してくださいね?
無用心ですし、何より……」
そこで少しだけ言葉を切って、少し頬を染める。
「…あんな可愛らしい寝顔を、他の誰にも見せたくありませんから」

一瞬、意味が理解できずに思考が止まる。

「…あのっ、それじゃ僕帰りますねっ」
ミケは慌てた様子で部屋から出て行った。
レティシアはしばらく呆然とそれを見送って……

…そのまま、再びベッドに倒れこんだ。

…Which is the Sleeping Beauty?

“Sleeping Beauty-A” 2006.11.3.KIRIKA

かりんさんのリクエストで書いてみました、初のミケレティです(笑)
あたしの中でのミケレティは、「王道」という一言に尽きます(笑)とにかく下手な小細工はせずに、ひたすらオーソドックスな、甘酸っぱい少年少女の恋愛を、という感じで(笑)
ミケさんもちょこーっとだけ、キザさと甘さを割増気味にしてみました…おかしい、なんだろうこの恥ずかしさは(笑)
気に入っていただければ幸いですvぜひもう一つのエンディングの方もご覧下さいv(笑)

Sleeping Beauty -side B-

「…目が…目が勝手に下半身の方へ…!」
自分自身の身体が、何か別の生き物にでもなったかのようだ。
いつもはローブで半分以上隠れているミケの身体が、今はローブのない、黒の上着とズボンだけの状態で。
視線が勝手に、華奢だが確かに男性の骨格をしているミケの肩から腰へ…さらに下へと動いてしまう。
「こ…これは当分起きる気配は無いんだし…
ってなに考えてるの私!!」
ぶんぶんと頭を振って、頬を平手で叩く。
「い…いやでも…こんなチャンスめったにないんだし…
……ってどんなチャンスよ!
ダメよ!ダメよレティ!人としてそんなこと!
で、でもでも、私だって年頃の女の子なんだし、それなりに興味が…
…ってぇ、ダメだってば!こういうことにはちゃんと同意が!」
「………あの………」
「って、同意ってなによ同意って?!
いやいやでも、それは一理あるわ!いくら私が女だっていったって、こういうことにはちゃんとお互いの気持ちが……」
「………あのー?」
「…でも、でもよ?手足を束縛されて身動き取れない美少年っていうのもそれはそれで死ぬほど萌えるものが…!
って、そうじゃなくてぇぇっ!」
「レティシアさーん?」

はた。

顔を上げた先に、ミケの顔。
そりゃあ、あれだけ騒げば起きるよね。
ミケはどう声をかけていいか戸惑った様子で、言いよどんでいる。

3。

2。

1。

「っっきゃーーーーーーーーーっっっ!!!」

宿中に響き渡るほどの悲鳴を上げて、レティシアは一目散に部屋から飛び出していった。
後には、まだ状況がよくわからない様子で手を所在なげにひらひらさせるミケだけが残された……

…それからしばらくの間、レティシアがミケと顔を合わせられなかったのは、言うまでもない。

“Sleeping Beauty-B” 2006.11.3.KIRIKA

ということで、別バージョンです(笑)
ちょっと前に「ALEXANDRITE」を読んで、ああミケさんとアレクって似てるなあと大変楽しい気持ちになりましたので(笑)アンブとアレク風にパロってみました(笑)
久しぶりに妄想レティシアさんを書きました(笑)楽しかったです(笑)