「あれ、クルムもマヒンダに行くのん?」
港で声をかけられ振り向くと、先ほど別れたはずのロッテたちの姿があった。
「うん、このままヴィーダに帰ってもいいんだけど…せっかくだから立ち寄ろうかなって。
ロッテたちもマヒンダに行くんだ?」
「ん、そろそろ東方大陸に戻るのもいいかなーってさ。リーの家は東方大陸にあるんだよ」
「へぇ、そうなんだ。じゅあ、またマヒンダまで一緒に行くことになるのかな」
嬉しそうにクルムが微笑むと、ロッテもにこりと笑った。
「こっからだと、2日くらいかなぁ。んふふ、またよろしくねぇ」
「こちらこそ、よろしく」

こんな彼女の表情を見ていると、最初のころとはずいぶんと変わった、と思う。
この旅で、彼女の心に触れることができた、という思いは少ない。
けれど、最初の頃に見せていた彼女の表情より、わずかだがやわらかい微笑を見せるようになった。
それは、彼女が自分に心を開いてくれたということかもしれないし、あるいは……

「…リーも、またしばらくは、よろしく。いろいろ話もしてみたかったんだ」
彼女の後ろに立っていた銀髪の少女にも、微笑みかける。
すると、彼女もまた、同じやわらかい微笑を見せた。
「こちらこそ。よろしくね、クルム」

…どうしてだろう。女の子ってこんなに変わるものなのかな。
別れた時とはわずかに違うリーの表情を、純粋に不思議に思う。
リーが天界に行った理由を、彼は詳しく聞いていない。
けれど、ずっと離れていたにもかかわらず、この不思議な友情で結ばれた二人が同じ表情をしているということは、この旅で得たものが二人同じであったということにはならないか。
「お、船出ちゃうってよ。いこいこ」
ロッテの言葉で沈んでいた思いから引き戻され、クルムはあわてて返事をした。
「あ、うん。今行くよ」

セント・スター島からマヒンダまでの航路は雲ひとつない快晴で波も穏やか。
旅人を運ぶ客船も順調に航路を進めており、甲板に出てさわやかな海景色を楽しんでいる客も多い。
クルムも例に漏れず客室から甲板に出ると、甲板の縁で見覚えのある人影が肩を並べていた。
「リー」
呼びかけると、二人連れの一人が彼を振り向く。
彼女はにこりと微笑むと、彼の名前を呼んだ。
「クルム。こんにちは」
「海を見てるの?オレも一緒にいいかな」
「ええ、もちろん」
快く了承を得て、クルムはリーのところに歩いていく。
と、リーの横に並んで立っていた金髪の少年が、ふっと手すりから手を離した。
「じゃ、俺は客室に戻ってるぜ」
リーはきょとんとして彼を見た。
「そう?わかったわ」
それでも特に止めだてはせず、素直にその少年を見送る。
「あ……邪魔しちゃったかな、オレ」
クルムもそちらを見て、ばつが悪そうにそう言った。リーは苦笑する。
「気にしないで。いつものことだから。あまり、人と付き合いたがらない人なのよ、彼」
「えっと……彼が、エリー?」
クルムが彼の名を言ったので、リーは少し驚いたようだった。
クルムはあっと気付いて言い足す。
「あ、ロッテにいろいろ聞いたんだよ。リーたちの旅の様子を。そうしたら、エリーっていう名前の天使とも一緒に旅をしていたって言うから」
「ああ、なるほどね……ロッテ、なんて言ってた?エリーのこと」
「えーっと……」
いけすかない、あんなのが天使なんて天界も先が短い、と言っていたのを思い出して、言葉に詰まる。
すると、その様子からリーは大体察したようだった。
「ああ、なんとなくわかったわ。まったく、あの子ったら……まあ、あたしも人のことは言えないけどね」
「ロッテには、本当に驚かされるね。色々と」
しみじみ言うと、リーは苦笑した。
「ええ、本当に。でも、いい子よ。あたしはそう思うわ」
「……リーは」
ふと思いついたように、クルムは訊いた。
「知ってたの。ロッテの想いを」
その言葉は、リーを少なからず驚かせたようだった。目を丸くして、それから視線を海に移す。
「なんとなくは、ね……たぶん、最初から」
「最初?」
「あの男があの子の前に現れたときからよ」
あの男、とは、やはりキルのことなのだろう。
最初は、父の命令でロッテを殺すために現れた、と聞いている。
「ロッテは…ああいう子でしょう。誰とも深くかかわりを持ちたがらない。誰と話すにも、恐ろしく器用に調子を合わせたり狂わせたりしながら、なんとなく煙に巻いてしまう。
誰が何をしていてもどうでもいい。どんなことをされても言われても、なんとも思わない。良くも悪くも。自分の人生にかかわらない人のことなんて興味がないから。それがあの子だった。
でも…彼に対してだけは、違ったの」
複雑そうな表情で淡々と語るリー。
「彼の言葉は、ロッテをひどく揺すぶったわ。誰に何を言われてもなんとも思わなかったあの子が、彼にだけは激しく反発して、嫌って、拒否した。
それが……なんとなく、あたしには不安だったの」
「ロッテが…キルの元に行ってしまわないか、っていうこと?」
クルムが言うと、リーは苦笑して彼のほうを向いた。
「ええ。ロッテの気持ちはとても…とても、よくわかったから」
「仲間、だから?」
「あたしも同じ気持ちを抱いていたからよ」
「………?」
彼女の言葉が理解できず、クルムは首をひねった。
「……エリー」
名前をぽつりと口にして、目元をさっと薔薇色に染める。
「…あたしも彼に、同じ気持ちを抱いていたから」
「あ………」
急に合点がいって、クルムは声を上げ、そして急になんとなくどぎまぎしてしまった。
「えっと…その」
何を言っていいかわからず、クルムはきょろきょろと視線を泳がせた。
リーはまだわずかに頬を染めたまま、可笑しそうにくすくすと笑った。
それから、海に視線を戻して、話を続ける。
「ロッテは必死に否定したがってたけど、あたしにはそれが余計に不安だったわ。…まあ、最終的にはあたしと同じ結論を出してくれたみたいだったから、よかったけど」
同じ結論……というのは、何のことだろう。疑問を残しつつも、先ほど感じた思いが氷解して、クルムは息をつく。
「なるほど……リーとロッテが同じ顔をしてたのは、二人とも想いが叶ったから、だったんだね」
満ち足りた、幸せそうな、やわらかい微笑。
見ているこちらまで幸せになれるような、そんな暖かい表情。
「オレはまだ、そんな気持ちになったことはないけど…どういうもの、なのかな」
「うーん…」
リーはまた海のほうに視線をやって、言葉を探すようにそう唸った。
「オレはまだよくわからないけど…でも、きっととても素敵なことなんじゃないかと思う。
ロッテも、リーも……とても綺麗な顔をしているから」
「え」
リーは小さく声を上げて、クルムのほうを見た。
クルムはいたって真面目に、自分の感じたことを正直に言っているのだが。
「女の子は恋をすると変わるのよ、なんて、下宿先の奥さんが言ってたときは、正直ピンとこなかったんだ。だけど、今の二人を見てると、本当だったんだなって実感する。
ヴィーダで別れた時とは、ちょっと違う…でも、すごく何かが変わったような、そんな感じがするよ。
すごく、いい方向に」
「そ…そう?」
「オレはエリーのことはよく知らないから。聞かせて、彼のことを」
「ええと……」
今度はリーのほうがどぎまぎしながら、言葉を探して視線を泳がせた。
「すごく……まっすぐな人だと思うわ。ちょっと見た感じは、そんな風にはまったく見えないし…たぶん、ロッテもそう思ってると思う。
皮肉屋で、ひねくれてて、悪戯好きで……そのくせ、びっくりするくらい冷静で、いろんなことを見てて…感情に押し流されずに、本当に自分の思うことだけを貫ける人」
話しながら、少しうつむいて、照れたような微笑を浮かべる。
「まっすぐ…本当にまっすぐにいろんなことに向かい合うから、傷つくことも多いし、だから自分を守るために色々とひねくれたこともしてしまうのだと思うけど……
そういうところもひっくるめて、彼に惹かれているんだと思うわ。そういう人だからこそ」
「エリーがそういう人だから、好きになったっていうこと?」
クルムが言うと、リーは少し視線を上げて考えた。
「うーん……たぶん、世界にはもっと、彼よりいい人がいるんだと思うわよ?
あの人、いつもいつも勝手なことばかり言って…そのくせ、肝心な言葉はくれないし」
少しすねたような言葉に、クルムはますます首をかしげる。
「肝心な言葉?」
「だから、その」
リーはますます頬を赤くした。
「つまり……あたしのこと、どう思ってるか、とか……そういう、こと」
「え、そうなの?」
「そうなの!」
友達に愚痴をぶつけるように、リーは力説した。
「いっつも、あたしを自分のものにしてみせるとか、そんなことばっかり言って。どうしてそんなに自信満々に言えるのか、いまだにすごく不思議だわ。あたしを自分のものにしたいなんて言う前に、あたしに言うべきことがあると思わない?」
「そ、そうだね……」
話の内容とリーの勢いに、どう相槌を打っていいものかわからず曖昧に答える。
「…まあ、だけどね。
彼がどういう人だから、とか、たぶんそういうのは、どうでもいいんだと思うのよ。
彼が彼だからこそ、その…好き、なんだと思う」
また、柔らかい表情を見せて、リーは言った。
「たくさんいる人の中で、この人って思える何か。
それがなんだかはわからないし…きっと、形にできなくてもいいと思うの。
世界中でただ一人、たいせつ、って思える人。
あたしが…その、ちょっと綺麗に見えるんだとしたら…きっとその、たいせつ、っていう想いが、あたしを綺麗に見せてくれているのかもしれないわ」
「たいせつ……」
クルムが反復すると、リーはにこりと微笑んだ。
「クルムにもきっと現れるわ。
世界でたった一人、このひと、って思える人。
ほかの誰とも違う、たいせつ、って思える人。
理屈じゃなくて、そう感じる人がね」
「そう……かな」
不思議そうに首を傾げるクルムに、ふふ、と笑ってうなずく。
「ええ、きっとね。
もしかしたらもう、現れているのかもしれないけど」
「うーん………」
まだあまり実感がわかずに唸ってから、クルムはまぶしそうに微笑んだ。
「けど、もしそういう人が現れたら、大事にしたい。
今のリーみたいに、幸せそうな笑顔を浮かべさせてあげたいと思うよ」
「ふふ、クルムに愛された人は、きっと幸せね」
「そ、うかな?」
クルムはどぎまぎして、それからまた微笑んだ。
「でも、リーも幸せだろ?」
「ええ、もちろん」
リーは頬を染めて微笑んで、気持ちよさそうに空を仰いだ。

「たいせつ、っていう気持ちを持っている……それが、とても、とても幸せよ」

あなたにもきっと現れるはずよ。
あなただけの、『たいせつ』な誰かが………。

“Precious”2005.7.28.KIRIKA

オーレンさんの誕生日プレゼントに何をあげようか考えている時に、オーレンさんにクルムくんの設定小説を読ませていただきまして。これがまた、ねえ、あなた!(笑)初々しくて可愛いんですよクルムくんが!(笑)
で、ミニプリのときに生かせなかった「セント・スター島からマヒンダに来た。もしかしてリーロテと同行とかだったかも!」というアクションを生かしつつ、オーレンさんに気に入っていただけているエリリーをメインに据えて、なおかついつもはやらない「リーの惚気」を加え、さらにクルムくんの「たいせつな人」を予感させるものにしてみようかなー、とお告げが降って来ましたので、急ごしらえではありましたが作らせて頂きました。エリーとの会話が少ないのは大人の事情です(笑)