人魚は泡にならず、幸せに暮らしましたとさ。

……そんな、夢。

ある酒場。
ミケは本を閉じて立ち上がる。
「すみません、お代はここに」
扉の外は、夕日で赤く染まっているが、次第に東から暗く、海の底に沈み行くように深い紺へと変わっていくのが見えた。
「……海の底、か」
決して泳げないわけではないが、それほど得意ではない。水に捕らわれたら二度と浮かび上がれないのを知っているから、その想像は余り面白いものではない。
「あれ?」
道ばたで何かが光ったのを見つけて、寄ってみる。手鏡のようだ。随分古いが、値打ちもののようで、細かな装飾が施されている。落としたら割れていそうなものだが、と思いながらきょろきょろする。誰も、気づいていない、のか。と、考えていると、ふと、殺気というほどのものではないが、危険を感じて振り返ろうとする。
「?」

ごす。

相手の顔は見えなかったが、何かで殴られたのはわかった。飛び退くべきだったのかなー、というちょっとした反省と、なんで道ばたで鈍器で殴られなければならないのかという理不尽さと、人通りは少なくないはずだし、誰か気づいてくれないかなと。

そんなことを、冷静に考えながら意識が暗転した。

「うあ、痛……」
「大丈夫ですか?」
「……?」
手をついて起き上がると、やけに柔らかな寝台。いつの間に、寝ていたんだっけ。
「ミケ?」
「……リリィ、さん?」
何だろう、一瞬違和感があったのだが、すぐにそんなことはない、と言われた気がした。
「驚きました、倒れているから。どうかしたんですか?」
「え、いや、ええと」
そういえば、何故倒れることになったのか、よく分からない。首をひねっていると、彼女はいつもの微笑みを浮かべた。
「もー。寝るならちゃんとベッドで寝てくださいよ」
「断じて眠かった訳じゃありません」
「呼んでくれたら、添い寝しますけど」
「結構です!」
「まあああ、なんて酷い言い方なんですか!こんな時間まで心配して付き添っていた私に」
「別に頼んでないでしょ!」
「……」
ぷぅ、と頬を膨らませて、顔を近づけるリリィに、ぎょっとする。
「私の時給、高いんですよ、侍従長どの?」
あれ、と思う反面、そうだったはずだという声が聞こえた気がした。
「……女王陛下。侍従長の部屋に、こんな時間まで、いるべきじゃないでしょう?」
「まあ、せっかく恋人を心配して付き添っていたら、この言われよう。リリィ、泣いちゃう~」
「こ……こいびとっ!?」
「……まさか、違うなんて、言いませんよね……?1年前の誕生日のこと、全部すっかり忘れているとか言うんですか?」
「え、1年前?」
「…………ミケ、もしかして、あなた、頭を打ったとか?……今、主治医呼びますから」
怪訝そうな声に、逆に真顔になったリリィが席を立とうとするのを、引き留める。
「え、ええと……ご、ごめんなさい、今、いつです?」
「今日は……私の、16才の誕生日の、7日前ですよ」
「16……?」
おかしな数字を聞いた気がして、彼女の顔を見やると、リリィはため息をつく。
「あなたの記憶の中で、私は、いくつですか?」
「15の誕生日が……きた、のか、こないのか?」
酷く頭が痛かった。そっと押さえると、僅かに血が滲んでいる。反射のように魔法を呟くと、痛みが消える。けれど、どこか靄のかかったような記憶は変わらない。
「ん、痛みは、収まったかな……。ええと、怪我もしているみたいだし、なんか、頭に当たったのは確かみたいで」
「そう」
どこか心配そうな顔で、リリィはミケの頬を挟むように手で包み込み。
がくがくがくがく。
「はわわわわっ」
「なんですか、酷い。すっかり忘れてるかも知れませんけど、去年の誕生日に、それはそれは怖い思いもしましたが、告白もされて恋人的なこともして、そんなこともあったくせに特にその後大きな進展も同じようなことをすることもされることもなく、あなたにそんなことを期待するのが間違っているのかしらとか、この人本当は雰囲気に流されただけなのかしらとか問い詰めに来たら頭打って倒れてるとかあり得ません、ええ、あり得ませんとも。つまり、私との関係が忘れ去りたいほどの記憶だと言うことですね、ええ、そうですか、わかりました。泣きながらあなたのした仕打ちを周り中に話してあげます。2度と地上になんか帰れませんから覚悟してくださいー」
「ちょ、と、ま……っ!待って、待ってー!」
「はい、なんでしょうか?」
けろり、と手を止めたリリィを、ミケは信じられないような物を見るような顔で見る。
「あなた、そんな性格、でしたっけ?」
「…………」
はー、とリリィは深くため息をついた。
「あの?」
「いいえ、何でもありません。ミケ……さんが、本当におかしいのは、わかりました。今は、先程言ったとおり、私とエミィの16才の誕生日式典、その7日前の夜です。あなたは私の侍従長。それで、恋人です」
1年前の、15才の誕生日のことを説明され、ああ、そういえば、と思う。
「魔物が、出て……みんなで討伐、した?」
「そうです。じゃあ、その日の夜のことも、ちゃんと思い出せるんですよね?」
「…………ああ、はい」
泣いている彼女を、とか。
ゆっくり思い出す過程で、シーツに顔を埋める。ちょっと、忘れている方が、確かにどうかしている。普通、あり得ない。
「す、すみませ……」
「いい年の男の人が照れても、可愛くないですよ。あ、でもミケさんは、可愛いなーって思う人が大多数だと思いますv」
「いや、男に可愛いっていう形容詞は、誉めてない……!」
「じゃあ、その後は?」
「その、後」
「ええ、その後のごたごたしたこととか、処理とかは。仕事内容とか」
「…………」
考え込む。それはもやもやすることもなく言い切れた。
「何も。何も、思い出せない」
「……そうすると、式典の準備は他の人に任せないと駄目ですね」
「う。申し訳ありません」
「いいですよ、……私が恋人だと言うことすらも忘れ去らなくて、良かった。だったら鮫の餌ですよ?」
「ははは……いや、でもどうして忘れてたんだろう。一番、大事なことのはず、なのに」
魔法を使うのに頭に触れたのとは別の方の手をふと意識する。鏡と……握りしめられた、紙。
「それは?」
「さぁ?」
その手の中の紙を広げて、2人で覗き込む。闇に沈んでいく海の中。部屋に明かりが無くても、辛うじて文字が拾えた。

『次は、リレイア女王の番だ』

「良かったですね、ミケさん、生きてて」
「いや、ほんとに」
「これはもう、間違いなく殺されるところでしたよ。っていうか、殺したつもりになってるんでしょうかね」
「みたいですね」
「で、その鏡は何ですか?」
「さぁ?」
すっと寝台を出て、机に向かう。そこには、書類の束と、一緒に……悪く言うとごちゃごちゃに、良く言えば誰かがみても分からないように、置かれたクリップで留められた紙の束。書類とは全く違うそれには、女王の暗殺予告が書かれていた。
「……ミケさん、言わなきゃ駄目じゃないですか。私がこんなにラブコールされてるって」
「少なくとも、ここ数日の僕の仕事内容は、分かった気がします。……警備のお願いだったり、あなたの護衛だったりですね」
「まぁ、だから私、今夜は部屋に来てくれ、なんて言われてたんですねvきゃ、なんだ、添い寝決定だったんじゃないですかvじゃあ、遠慮無く。……だから、ミケさんも遠慮無くどうぞv」
「…………嘘でしょう、それ」
「あなたが忘れてるだけですv」
「いや、嘘ですね……」
「酷い……私が嘘をついてるって言うんですか!?」
「はい」
「…………」
「…………」
「…………(にこ)」
「…………(汗)」
「私が恋人だって事も、すっかり忘れていたくせに?」
「すみませんでした……」
「この1年、恋人らしいことも、何もしてくれなかったくせに?」
「え、ええと、そこはほんとに覚えてないんですけど」
「私の胸が小さいのなんのと……ヘレンの胸が大きいのは旦那さんの愛で大きくなったって言ってました。あなたの愛が足らないんです!」
「ええええ」
「大きく育てる努力をしてください」
「え、えええと……努力ですか?」
「……さぁ、私を守るため、添い寝をお願いしますねv」
「え」
「間違いは起きても大丈夫ですよーvうふvさぁ、努力をお願いします」
「女王陛下、待って、なんかもう間違いを自分で起こす気満々みたいな」
「やだぁ、そんなv乙女はそんなことしませんよーv」
「駄目ですよ、部屋に帰ってくださいってば」
「もし、それで……襲われたらどうするんですか?」
「部屋まで送りますって!」
「…………ミケ」
頭一つ小さい女王は、下から上目遣いで見上げて。
「1人に、しないで?」
「う」
「あなたがいなくなったら、どうしようって、ずっと思ってたのよ?」
「……」
「側に、いてもいいでしょう?」
「…………侍女の方が来る前に起こして部屋に連れて行きますからね?」
「うふふ、だからミケさんは好きですよv」

はめられた。

なんだか、そんな敗北感で一杯だった。


「というわけで、お願いしますね」
「はい、侍従長」
一通りの式典の警備、そして城の中にまで侵入されるということは、もう少し通常の警備も厚くしないと。そのために、あれこれ手を回して、一つ息をつく。
「おや、お疲れですか、侍従長」
「ヘレンさん、…………おかしな事を姫に吹き込まないでくださいよ!」
「何の、話です?」
振り返って、誰かを認識した途端、穏やかで冷静な侍従長が、どこか癇癪を起こす子どものように文句を言い出したので、ヘレンが問い返すと。
「その、……姫に話した、胸の話、とか」
途端、目の前で吹き出して笑い転げるヘレンに、ミケは仏頂面のまま、黙り込む。
「い、いえいえ、姫様に聞かれたものですから。まあまあ、そうですか」
「だからって!」
「あの年頃の娘に、胸が大きいの小さいのと言う話は禁句ですよ。気にしてるんですから」
「……ええええ?」
「気にしてますよ、姫様。……ああいうところは、まだまだ姫様も子どものような顔をお見せになるから」
「でもですね!」
「あたしは、いつでも、お二人の味方ですからね?」
「っ、ヘレンさんっ!」
ころころと楽しそうな笑い声を上げて行ったヘレンを恨めしげに見やる。
「……でも、恋人って言う割に、こう……自覚が僕にないって言うか」
一体、どんな殴られ方をしたんだろう。すっかり忘れているにも程がある。
「うー、何でも良いから思い出せると良いのに」
あの手鏡を、取り出す。やけに曇っていて、顔を映すこともない。倒れる前に握っていたのだから、何かありそうなものだ。試しに指を当ててみる。……魔力を感じた。どこかで……よく知った魔力なのだが、思いだそうとするほど沈んでしまうような記憶。
「……文字が、刻まれている……?ええと、「真実」、かな?ええー、真実とか写してくれるのかな」
倒れた時のこととか、記憶の混乱している部分とか。そういうのを映してくれたらいいのに。そう思いながら、ミケは鏡をしまった。

「ミケさま」
「え、エミリア様?どうなされたのですか?何か用事なら呼んでくだされば……」
リリィの双子の妹姫は、廊下を行くミケにおずおずと声をかける。よく似ているのだが、見分けが付かないほどではない、とミケは思っているが、見分けが付くのは本当にごく一部だと聞いて驚いた。……彼女は、本当におとなしい姫君だ。
「いいえ、ちょっとあなたにお話がしたくて。式典のことなのですけれど」
「はい」
実は式典の内容も分からなくなっていたので、昨日姫を寝かせてから、資料を読み直して、覚え直した。多少寝不足。
「……あの。お姉様が、狙われていると、将軍から聞きました」
「ああ……そうです。ですので、エミリア様も護衛無しで出歩かれませんように」
「あの、わたくし、お姉様の代わりにはなりませんか?今度は、わたくしが、お姉様を守ろうと思うんです!」
「……エミリア様」
「あのとき、お姉様を生贄にして助かろう、死にたくないと……わたくし、思っていました。お姉様がいくら同じように接してくださっても、わたくしは……自分が許せないのです。だから」
「駄目ですよ、エミリア様。リレイア様は、あなたを、とても大事に思っていらっしゃる。怒ってなんか、いないんです。身代わり、なんて……駄目ですよ」
「でも」
このおとなしい姫がそんなことを言い出すなんて、どれほど悩んだのだろうと思う。精一杯の勇気だと思う。けれど。
「駄目です。それに、あなた方2人の、揃っての式典ですよ?リレイア様にも、話を通さなきゃいけない。彼女が、納得すると思いますか?」
そっと手を伸ばして姫の頭を撫でる。
「気持ちは分かりますが、あなた方を守るために、騎士はいるんです。僕も及ばずながら頑張りますから。……心配しないでください?」
「…………わたくしは、守られてばかりです。何も、できない……」
「そんなことは。……リレイア様が強くあるのは、あなたを守りたいと願うからです。あの方が強く見えるのは、あなたのためでしょう。だから、身代わりなんて危険なことはしないでください」
その手の下でエミリアはほんの僅かに俯く。だから、言葉を探した。
「……ただ、あの方の側で、本当に補佐できるとしたら。心を支えられるとしたら。双子のあなたが相応しいのでしょうね。償うというなら、リレイア様を支えたいというなら、生きて、勉強して、女王補佐となれるよう、頑張ってくださいね?」
「……はい。でも、ミケさま?お姉様が本当の本当に危ないときには、迷わず私を、影武者にしてくださいましね?」
「嫌です」
すっぱりと、その真剣な願い事を拒否した。
「誰も、死なない。誰も犠牲にしない。そういう方法を、僕は探したいから。……リレイア様も、そう言うと思いますが」
「ミケ様、どうして」
「…………エミリア様、これはリレイア様には内緒です。いいですね?」
「はい」
ミケは、そっと声を落として内緒話を、一つ。彼女が大事な存在なら。自分が取るべき事は決まっている。
「……好きな人の守りたいものは、僕だって守りたいんです。だから、あなたのお願いは絶対に聞けません。……好きな人の、大事なものは、何一つ、捨てさせたくないんで」
「……まぁ」
「内緒ですよ!ほんっとに!……あの人が聞いていたら、入水したくなりますからっ!」
まぁまぁ、と言いながら、エミリアは自分の頬を両手で挟んでもじもじする。
「わたくしまで、照れてしまいます……。お姉様に黙っているなんて、そんな。しっかりお伝えすべきだと思います……」
「駄目です、絶対駄目ですっ!」
「ミケさま、わたくし、いま、一つ夢が増えましたの」
「?」
唐突な言葉に、ミケは首を傾げる。
「お姉様の補佐をすること。それは1年前のあの日からの夢で、頑張っておりますけれど。……お姉様の、ブライドメイドを、是非わたくしが勤めたいのですわ……v」
「う、あ、も、もう……」
「……頑張って、お姉様を守るための、それ以外の方法、探してくださいましね……vお姉様の幸せは、わたくしの幸せです」
にっこりと、嬉しそうに幸せそうに。純粋な好意だから、言い返せなくて、ミケは固まったままだった。

「姫、どうかなさいました?」
「……別に、何もありません。侍従長、下がりなさい」
「え、はい」
なんだか、私室に戻ってきたものの、酷く機嫌の悪いリリィ。これも、表面上はわかりにくいのだが、やけに他人行儀な態度は、自分に対して怒っているのだろう。
「……ミケさん、何か、私に、言うことは?」
「ええと、警備を少し変えます。少々不自由をかけますが、そこは我慢していただいて」
「他には?」
「特には、無いと思いますが」
「そうですか。お疲れさま」
「……なんですか、表面上だけで。何か、言いたいことがあるなら、言ってくださった方が、僕も助かります。空気読めないんで」
「……空気読めないなんて、駄目ですねぇ。乙女心が分からないと、捨てられちゃいますよー?」
「そうですね、困りますねー。で、読めないんで、どういうことか、教えて欲しいんですけれど。僕と話したくないなら、エミリア様とでいいです。少なくとも狙っている方を捕まえるまでは、色々」
「……エミリアと、随分仲が良いんですねぇ?」
「え、まぁ……侍従長ですから?」
「侍従長はスキンシップをするんですか、へー」
「…………と、いうと?」
「……………………」
にこにこした笑顔のまま、自分を見るリリィ。少し、考える。
「昼間、確かにエミリア様の頭を撫でましたが」
「……ですね。いいんですよ、分からなかったら。ええ、分からないなら」
「あなたも頭を撫でて欲しいとか」
「…………本当に、一番肝心な部分以外は、随分鈍いんですね……!ちょっと推理してみたらどうですかっ!今、大分ヒント喋りましたよ?」
言われて会話を振り返る。
「……昼間、見ていらっしゃった、と」
「そうですね」
「頭撫でて欲しいなら、そう言ってくだされば」
「じゃあ、撫でてください」
ティアラを外して、はい、と頭を出したリリィの頭を撫でる。……綺麗に手入れされている。つやつやだ。
「お疲れさまです、よく頑張っておられます」
「…………じゃあ、次」
「次?」
「エミリアの顔に、口元を寄せて何を?」
「……」
耳元に唇を寄せて、内緒話。その後頬に手を当てて、真っ赤になって照れるエミリア。そういう風に見えなくも、ないのか?
「え、もしや、浮気したと思われていますか?ははー、ヤキモチですか?」
「どうなんですか?」
にこにこ、と笑っているのに、そのオーラは恐ろしく怒っている。
「内緒話を一つしました。エミリア様の夢を、聞きました。そんなところですか」
「どんな、お話を?」
「内緒です」
「…………やだぁ、ミケさん。私にこの場で衛兵呼んで『この者の首を切れ!』って言って欲しいんですか?海の真ん中に突っ込んで欲しいんですか?それとも鮫の前に放り出されたいんですか?」
「どれも、いやかなぁ……」
「まぁ!我が儘ですね、せっかく選ばせてあげているのに」
「その3択だったら、式典が終わるまでは待って欲しいかなー」
「……殺されても仕方のないことを、したの?」
「してませんよ」
苦笑を浮かべる。していないけれど、エミリアが影武者を申し出たとは、言いにくいから……黙ることにした。エミリアが言うなら、それがしょうがない事だと思うのだが。
「姫?」
「じゃあ、3択の答えは式典の後で聞きます。お下がりなさい」
「……失礼します」
部屋を出てから、ミケは一瞬思った。……ちょっと受け答えを間違えただろうか、と。


好きな人には、何一つ捨てて欲しくない。
全部ひっくるめて、その人が好きだから。
だから。
……だから?

目が覚めた。
海の中の国だから、差し込む光は地上よりも直接的ではない。揺らめく光の欠片から、まだ起きようとしていた時間よりも早いのだと知る。
「……ま、いいか」
身体を起こして、机の上に置いておいた手鏡に触れる。光を反射して、それはほんの僅かに何かを映した。
「……?」
それは、ほんの一瞬で。追おうとすると消えてしまった。けれど、その曇りは昨日よりも僅かに晴れている気がする。
「……これは……もう少し時間が経ったら覗けそうかな」
何か魔力が足らないのかも知れない。そう結論づけて、一旦横に置いておく。
「さて、ちょっと早いですが、頑張ってみましょうか」

「女王陛下、ご機嫌は?」
「ええ、侍従長。ちょっと前までは良かったのよ?」
「……あの、ほんっとに、怒ってます?」
「うふ」
なんだか、フラッシュバックのように、彼女を怒らせたら100年でも200年でも延々恨まれる。そんな根拠のない想像が浮かんできた。
「わ、わかりました……下がります。じゃあ、あの、信頼できる方々を側に置いてくださいね?僕はエミリアさまを見に行きますので」
「……随分、エミリアがお気に入りなのですね、侍従長」
「…………」
なんて答えようか、悩んで。
「だって、あなたの双子の妹で、あなたのたった1人の肉親だから」
「それは、どういう?」
「だから、守ろうと思って」
「…………ミケさん、正直に答えてくださいね。私とエミリア、どちらが好きなんでしょう?顔は、一緒ですよ。胸は……もしかしたらエミリアの方が、最近ちょっと成長したかもしれませんけど」
「え、そうなんですか?」
「…………」
「冗談ですよ、そんな呪い殺しそうな顔で見ないでくださいよ。第一、あなたとエミリア様は全然似てませんし、それに」
「質問の答えは?」
笑顔のまま、その場を動かないのに、凄く怖い。うっかりすると後ずさってしまいそうな程。
「……可愛いですよね、エミリア様。おしとやかで慎ましくて、好みのタイプを上げろと言われたら、絶対あんなタイプを上げましたよ、僕」
「…………」
「なのに、どうして、よりにもよって、あなた選んだんですかね、僕は。こう、エミリア様は可愛いのに、多分好みのタイプのはずなのに、側にいてすごく困らせられるのに、顔は殆ど一緒のはずなのに、あなたの顔しか思い浮かばないんですよ。エミリア様じゃない。無理を言われたりするって分かっているのに、あなたのところに来るのは、どういうことなんですかね」
「酷い言われようですね?で、質問には答えてくれるんですか?」
頭が、痛い。思い出せないことがあるはず。
「分かりません、あなたを恋人にしたって、ちゃんと覚えてないんです。だから、戸惑う。なのに、仕事がなくても会いに来る。仕事のことも思い出せないからいても何もできないのに。ただ、会いたい。……なんだか、どんなに僕が会いたくてもあなたには会えないような、……気が……して」
おかしい。
そんなはずないのに。
現にこうして、会いに来ているのに。どうしてそんな風に思うのか、考えたら……酷く頭が痛い。割れそうだ。
「リリィさん、僕は」
「ミケさん?」
「……ごめんなさい、ちょ、頭、痛い……」
「誰か……!ヘレン!すぐに来て!」
立っていられなくなって、頭を押さえたまま床に膝をつく。
もう少し、忘れていないといけない。そんな声がしたような気がする。
「リリ……っ、だ、大丈夫、少し頭が……痛い、だけ」
「そんな顔色で、何を言っているんですか!」
「だ、大丈夫。ほら、質問……答えなきゃ」
「ミケ!」
心配して介抱してくれる手を取って、呟く。
「……もっと、あなたに、会いたい。悔しいくらいに、僕は」
必死になっている顔を見た瞬間、なんだか気分が良かった。いつもの笑顔を崩せたようで。
……いつもの、笑顔。
それは、なんだったか。……考えてしまったら、急に目眩もしてきて。離さなきゃと思いながら、その手を全力で掴んだまま、意識が暗転した。


何者かに殴られて、記憶が混乱している恋人。
だから、懇切丁寧に会ったことを説明しようとしたのに、なんだか上手く説明できない。
だから余計にイライラする。
だから、エミリアと仲が良さそうな様子に不安になる。
どうしてだろう。

「う」
「気がつきましたか?」
「……手を」
「?」
「手を、握りっぱなしだったから……邪魔になってしまいましたね」
「大丈夫、1刻程度しか経ってないんですから」
ほっとした声に、ミケは視線を上げる。なんだかやっぱり、記憶の中と違う気がした。
「ごめんなさい」
「大丈夫だって、言っているのに」
「違う。手が、離せないみたいで。強く、握りすぎたみたいで……」
強ばっている指は、彼女の手を掴んだまま。その服の下に痕など付いていなければいいが。
「やだぁ、私を手放したくないだななんてv」
「それも、ありますけど」
「え?」
「だから。離したくないんですよ。どこかに行ってしまうから」
「あらあら、素直じゃないですかーvんもう、最初からそう言ってくれたら良かったのにー。ミケさんは案外賢い様でいて、お馬鹿さんなんですからv」
「……なんで、上機嫌なんですか?」
「何故だと思います?」
「……死ねば良かった、とか思ってます……?」
「何故そう思うんでしょうか……?」
上機嫌すぎて、もしや観測史上最大級に怒っているのではないかと不安になる。
「そんな訳、ないでしょう?……心配しました。やっぱり無理してたんでしょう?もう少し休んでください」
「……すみません、お言葉に甘えます、女王陛下」
そう呼んで、ゆっくりと自分の意志で指を引きはがす。
「うふふ、じゃあ、執務が終わったらすぐに来ますからね」
「はい。あの、お気を付けて」
今日襲撃されたら、それこそ自分で自分が許せなくなりそうだ。そうして、もう一度目を閉じる。すんなりと、闇の底へと意識が落ちていった。

「もう……馬鹿ですねぇ」
言いながらもリリィの口元は笑っている。手は確かに痛かった。そっとまくると跡が付いている。それほどまでに離したくないと、望んでくれるその証なら、この痕も愛しいというものだ。
「あら、あのときの」
サイドテーブルの手鏡を取り上げて、覗いてみる。
自分の顔が映っている。ただし、ぞっとするほど空虚な微笑みで。
吃驚して取り落としかけたその鏡をもう一度覗き込むと、そこにはただ、薄く曇った鏡が、自分の顔もよく映してくれなかった。
「……見間違い?」
やけにはっきりと見えた自分の顔に、何かが警鐘を鳴らしている。だから、その鏡を伏せて置いて、リリィは部屋を出た。なんだか、嫌な感じがした。


好き、とか嫌い、とかじゃなくて。
離したくない。
逃がしたくない。
他など見て欲しくなくて、自分だけ見ていて欲しい。
大事なものを愛しげに見つめる姿が好きだけれど。
本当は。
本当は、相手の大事な者なんて、自分だけでいいのに、と……願った。

あれから、なんだかご機嫌な女王と妹姫には、特には襲撃はなく、順調に式典はやってきた。
「ミケさん、ご機嫌斜めですか?駄目ですよー、せっかくの私とエミィの生誕記念式典ですよ」
「機嫌が悪いって、あなたが散々、狙われているって言うのに!ほいほい出かけてみたり、護衛を撒いてみたりっ!毒味もなく差し入れのケーキとか食べようとしたりっ!夜中に1人で王宮うろついてみるとか、死にたいんですか!?」
「まぁ、そんなことありませんよ、うふ」
「嘘くさい笑いは何ですか!」
機嫌が悪くなりもしようというものだ。
「今日は、ちゃんとしててくださいよ、ほんとに!」
「分かってますよぅ」
「本当ですか?」
疑いの眼差しを向けると、当たり前と言わんばかりに頷いた。
「だって、ちゃんと高級な猫を被りますから」
「……!こ、こうきゅうな、猫……?」
「はい、丈夫なんですよー、もう何年も被ってきてるヤツですから」
「…………たまには僕の前でも被っていてくれると、ありがたい……」
「ええええ、それだけ信頼してるって事じゃないですか」
「でも、本当に危ないんですからね?今日は一番衆目が集まるし、王宮の中に色々な人が出入りするんですから!今日くらいは、本当にお願いしますよ?」
「んもー、信用してくださいよ。そんなに疑われるなんて、リリィ、泣いちゃう。お化粧が落ちて式典に遅れちゃうかも。っていうか、目元を冗談で拭ったらマスカラが本当に落ちました。いやーん、ウオータープルーフなのに」
「こらこらこらこらっ!」
「リリィ様、お時間です」
「……今、参ります」
外からかけられた声に対して、すっと声色が変わる。幼いながらも立派な女王の物だ。そうして、化粧品を自ら手に取って、マスカラを直す。
「……お見事な猫です……」
「そうでしょう、うふふ。それに危ない事なんて、ないって信じてますからね」
「どこからそんな自信が」
する、と衣擦れを一つ。女王は悪戯な表情で侍従長の胸ぐらを掴んで引っ張る。
「っ」
「……守って、くれるのでしょう?わたくしの、侍従長?」
「~~っ!当たり前でしょうがっ!それより、化粧直してっ!」
落ちた口紅をくすくす笑いながらリリィは直す。そうして扉まで歩いていって……振り返った。
「あ、ミケさん、口紅付いてますけど、こすって落としたりしたら、式典の最中だというのに、泣いちゃうかも」
「っ!いいから、行きなさいっ!」
「はーい」
楽しそうに笑いながら、扉を出るときにはもう、いつもの慈愛に溢れた女王という、猫を被っている。それを見送ってから、そっと鏡を見やると。
「……っ、全く、冗談じゃありませんよっ!」
紙でがしがしとこすって口紅を落とす。淡くとは言い難い付き方に、流石に恥ずかしい。
「……行きますか、僕の仕事をしに」

「侍従長、ちょっと顔が赤いようですけど」
「気のせいです」
ヘレンの追求を一刀両断して、式典を陰から見守る。……王座の横のカーテンの影には、一緒にヘレンがいる。
まるで、舞台袖のようだ、と思って苦笑する。女王の生誕式典という舞台を、道具係としてみているようだ。……反対側にも警備の騎士がいる。祝賀客の様子を見渡すなら、王座側が都合が良かった。
「……夢を見ているようですよ」
「?」
「去年、あたしたちは、大変なことをしようとしていたんです。それを乗り越えて、今、この日を迎えられることが、あたしには、夢のように感じられるんです」
ミケは、一瞬視線を向け、けれど何も言わなかった。
リリィを生贄に捧げ、自分たちはエミィを女王として、リリィなど最初からいなかったように安寧の日を送る。一生懸命女王であろうとした少女を切り捨てて。どんな目に遭うのかも、なんとなくは知りながら、それでも……楽な道を選ぼうとしていた。
「あそこで、ミケさんがいなかったなら、あたしたちは。どれほど、後悔することになったのか……」
「……彼女は、あなた方を許すことはなかったでしょう。一生許さないし、あなた方が死んでも、この国を、住む人を、永遠に許すことはないかもしれない。……彼女は、あなた方を。この国を愛しているから。誰よりも、愛しているから、……それを全て憎しみと恨みに変えるでしょう。……そんな、気が、します」
「そうですか……そうでしょうね。今だって、あたしたちを許してくれているのか」
「ヘレンさん?」
「今でも、あたしもエミィさまも、誰もが姫様に罪悪感を持っています。未遂に終わったとはいえ、あたしたちは」
「……」
「あなたが、ここにいてくれて良かった。そうでなきゃ、あたしたちはとてもあの方の顔を見ていることはできません。だから」
「……僕が、あの方にできたことは、多くない。でも、あの方は、怒ってらっしゃらないと思いますよ。一度、怒ったじゃないですか。それで、終わりにしていますよ。だから、誠心誠意仕えてあげてください」
ゆら、と一瞬頭の中に浮かんだ「記憶」。

「あなた方がしたことは、謀反です。わたくしを、謀殺しようとしたのです。信じていたわたくしを裏切った。その罪は計り知れないほど重いと知りなさい。……以上です。これ以降は、二心無く、仕えると約束してください。わたくしは、確かに子どもで、あなた方が支えてくれなくては立てないような女王です。いてもいなくても、いいのかもしれません。けれど、精一杯国のために尽くすと、約束しましょう。だから、あなたがたもわたくしに約束を」
そう言って、静かに微笑んだ女王の言葉は慈愛に満ちていたけれど。
戻ってきてティアラを外した少女の頭を撫でると、すがるでもなくただ小さく震えて俯いていた。
「これで、全部終わりにします。もう、誰も、裏切らないと、いいですね」

「勿論ですとも。それで、ミケさ……」
「……静かに」
一瞬、魔力を感じた。この部屋の中の魔力は、全部自分でも確認しているから分かっている。どれほど微力でも、別の魔力が混ざれば、感知できる。
「……ヘレンさん、招待客の方、見ていてもらえますか?招いてない方が、いる」
「分かりました」
そうして、風の魔法で声を飛ばして、反対側にいる護衛の宮廷魔導師にも異変を告げる。
「……この度は、私たちの誕生日を祝ってくださって本当にありがとうございます。ゆっくりとくつろいでいってくださいませ」
異変に気づいているのかいないのか、謝辞を述べる女王が静かに頭を下げる。その瞬間。
「死ぬが良い!」
叫ぶ声と共に、放たれる魔法は、宮廷魔導師の魔法で防がれる。たちまちパニックになる会場で、ヘレン達が客を非難させ、騎士達がその犯人を捕らえようと動き出す。間もなく、犯人と思われる男が、捕まえられ、張り詰めた空気が緩み、皆の意識がそちらへ向く。
「……?」
きらり、と何かが光ったのが見えた。それは避難させた招待客の中からで……ミケは迷わず、玉座へ走った。
「きゃああっ」
エミィが悲鳴を上げ、皆が女王の方を見る。
袖の中に隠し持っていたのだろう、走ってきた男のナイフが閃き、リリィに迫る。が、悲鳴を上げるでも恐怖で凍り付いたわけでもなく、リリィは悠然とそこに立っていた。
「っ、リリィ!」
伸ばした指の先で、僅かに光る半透明の壁が作られる。
それはナイフが触れた瞬間ガラスのような音を立てて、崩れる。けれど、おかげで女王には傷一つ無い。そうして稼いだ一瞬で、ミケは女王を背に庇う。
「…………傷なんか、付けさせる物ですかっ」
「ち……っ」
再度ナイフを構えるより早く、騎士達が、男を捕らえた。
「くそっ、お前なんかいなければ……子どものお飾りの女王なんかいらないんだ!血で王位を継ぐ時代は終わらせる!」
「黙りなさいっ!」
ミケは怒鳴ってしまってから、周囲が全部静かになっていることに気がついた。……さすがに招待客前にまずかったか。けれど、今更引いてもどうにもならないので、ちょっとだけ冷静になることにした。
「それでも、この国で、彼女以上にこの国を考えている人は、愛している人はいるとは思えません。彼女も、今日で16なんです。あなた方が思うほど、子どもではないんです。年なら一つ一つ重ねていける。経験だって積める。今だって決してなにもできない訳じゃない。確かに、皆の協力は必要です。けれど、そんなのはどこの王様だって一緒です。そうでしょう?何もかも、1人でやれなんて、言わないでしょう?……彼女は、きっと立派な……素晴らしい女王として名を残すでしょう。そう、僕は、信じます。だから」
「ミケ」
静かに言われて、ミケは口を閉ざす。そうして、そっと一礼して声をかけた女王の前を下がる。
「まだまだ、未熟な女王です。けれど……わたくしは、母のような女王になるべく努力していきます。……至らない部分を支えてくれる皆を信じております。エミィと一緒に、この国を良い方へ成長させていきたいと、思っています。あなたがた民に不満があるならば教えてください。きちんと答えを出すと、約束します。ご列席の皆々様にも、よろしくご指導をお願いいたしますわ」
そう言って、優雅に一礼する女王に、臣下は揃って頭を下げ。各国から招かれた招待客からも拍手が起こる。
「……あなたがたには、追って沙汰を。罪は償っていただきます。連れて行きなさい」
凛とした態度で、少女は玉座へ戻る。
「お姉様」
「エミィ、怖かったわね?大丈夫よ」
「……はい」
「さ、式典を続けましょう」
落ち着いた微笑みに、その場に落ち着きが戻った。
それを影で見ながら、ミケもそっと息をついたのだった。


「怪我がないから良かったようなものの……」
1人部屋でごちる。頼むから、危ないときには逃げて欲しい。
「……あれ、鏡。こんなところにあったっけ?」
ばたばたしていてずっと忘れていたけれど、サイドテーブルに伏せてある。それを取り上げ、覗いてみる。
「……」
中に見えたのは、自分とリリィが寄り添って寝ている姿。直後殴られたような痛みが頭を襲う。
「い、今、の……?」
彼女は今より幼い、そして風変わりな衣装の姿で。自分も魔導師の姿で。
心臓の音と共に、頭が痛む。
「ミケさん、こんばんはっv……ミケ、さん?」
「え、あ、ああ……女王陛下」
鏡を伏せると、頭痛が少し治まる。完全には消えないが。
「具合、悪いんですか?」
「少しだけね。……駄目でしょう、こんな時間に出歩いたら」
「いいじゃないですかー、私も16になりましたし、そんなに子どもじゃないんです」
「大人の女性は、ほいほい夜中に男の部屋に入ってきたりしません」
「やだぁ、大人の女性なら余計にありじゃないですか」
「ありません」
「じゃあ、男の人が部屋に来るんですかね?」
「部屋に男の人は入れるんじゃありません!」
やりとりをしているうちに、頭痛はゆっくり治まった。
「……今日はお疲れさまでした。多分、安全になったはずですので、今日は早めに休んでください」
「まぁ。随分薄情ですねー。お誕生日を恋人に祝って欲しいと思っただけなのに」
「おめでとうございます。……なんですか、その手は!?何もありませんよ、ここ数日ずっと忙しかったんですからっ」
「ええー、甲斐性無し」
「ぐっ」
「じゃあ、質問に答えてくれたらそれで良いことにしますよ。……ちょっと前、エミィになんて言ったんですか?」
「その質問の仕方ですと、既にエミリア様から聞いていると推測しますので、黙秘します」
「そんなこと、ないですよvさぁさぁ」
「質問を却下します」
「じゃあ、次の質問に」
「まだあるんですかっ!?」
追求されることを警戒していたら、あっさり次を出してきた。
「襲われたとき、迷わず私を庇いましたけど。あれは、どうして?」
「どうしてって、女王陛下を守るのが仕事でしょうが」
「そうじゃなくて。エミィと私を、じゃなくて、私だけを庇ったのは、どうして?」
にこにこにこにこ、と笑うリリィに、自分の笑顔が引きつる。
「ど、どうしてって、女王陛下を守るのが仕事ですから」
「招待客を前に、名前を呼び捨てにして?」
「うわ」
「私の見合い話とか、あったらしいですけど、かなり壊れたみたいですよ?」
「ぅわああああ、ちょ、すみません……」
真っ青になる。女王の見合いというのは、国同士の事に繋がる。関係が悪化したら、全部自分の責任だ。
「んもー、これはもう、責任とってずっと私の側にいてもらうしかないですねぇ」
「ちょ」
「……責任、取らない気ですか?」
「そうじゃなくて!いえ、あのね」
「遊びだったんですか、ひどーい、えーん」
「こら」
「……で、どうなの?」
その言葉は酷くまっすぐだった。彼女は、笑っていない。
「どこにも、行かないで。私の側にいて。ずっとずっと一緒に、ここにいて」
「……」
「みんな、私を裏切った。1年経っても、時々ふと許せなくなるの。あなたがいたから、私は白百合姫でいられた。……リゼスティアルを平和にしていたいなら、ここに残りなさい」
「リリィさん」
「せっかく、恋人同士になったのに!全部忘れてしまったあなたに、いつ置いて行かれるのかと思うと、怖いの!あなたを、閉じこめてしまえたならいいのに」
そこまで言って、ふとリリィの目に、サイドテーブルの上の鏡が目に入る。そして、それから視線を外して、ミケに戻す。
「あなたは、私を、愛しているのでしょう?」
「…………そう、ですね。僕はあなたを、愛しているのでしょうね」
苦笑交じりに、ミケはそう言った。
「あなただけを守りたいと思ったし、あなたに喜んでもらうのが嬉しいし、そう言ってもらって、とても嬉しい」
「そう」
「ええ」
そうして、一瞬2人の微笑みが苦みを帯びた。

そうして、2人は手鏡に手を伸ばす。

ミケは手鏡を取った。

リリィは手鏡を取った。

そして、ミケは手鏡を手に取り、そして。
「こんな夢みたいな世界で、なければ!」
叫んで、それを床にたたき付けた。

「……あーあ、泣かせましたねぇ」
「……泣きますか?」
「泣きますよ」
ゆっくり目を開くと、宿のベッドに横になっていた。すぐ横にいたリリィも目を開く。
「悪い人ですねー、心から信じて頼っている人を捨てて、出て行っちゃうなんてー」
「……悪趣味な夢を見せないでください。本当に罪悪感が沸いてくる」
身体を起こす。そして、頭に手を当てる。ちゃんと治っているようだ。
「なんで、あなたまで寝てるんですか?そもそも殴ったのあなたですか?どういうことをしたかったんですか?」
「殴ったのは、私じゃないですよ。殴られていたあなたを、タイムリーにひろっただけですってば。ちゃんと宿まで連れてきてあげたし、怪我も治してあげましたよ。面白いからそのまま夢を見せてあげましたが」
外は、夢の中のように、綺麗な月が浮かんでいる。
「そら、どうも。で?」
「今回は、私もミケさんの夢に入り込んでみたんですvどうでした?清純な私v萌えましたか?」
「入り込んでみたって」
「ベースはあなたの夢です。方向は私がある程度決めましたし、細部も決めましたが、基本的にあなたの夢ですから、それ以上はあなたの意志次第でしたね。都合良く都合良く持っていくこともできたと思いますよ」
あの夢が、全部自分の頭の中だとは。
……あのリリィも自分の想像だとしたら、と思うと寒気がした。
「あ、私も頑張って乱入しましたよvまぁ、あなたの頭の中ですからね。今の記憶とかぜーんぶ吹っ飛んでましたから、あの私がいいと思えばあのまま幸せにお金と権力の中で生きていられましたよ、ミケさん」
「そりゃ、もったいなかったですね」
それでも。
彼女の見せる夢だと知って、それでも「今」の関係が良いと判断して……こっちに戻ってきた。
「じゃあ、ああいう僕を愛してくれたあなたも、僕の妄想だと」
「ああ、あれですか。……アレは、本当のことでしょうね。白百合姫を助けて、ずっと側にいたら、凄く信頼して、深く愛したと思いますよ」
「……あの無茶苦茶な迷惑行動は、愛情だと……?」
「愛情です」
「わざわざ死にそうな事をしたのも、愛だと?」
「好きな人が、助けに来てくれる。自分は愛されているんだと、知りたかったんでしょうねぇ」
「…………へえええ、今のあなたとあんまり変わらない愛情表現のような気もしますが?」
「うふふふ、そうなんですー、ミケさんに愛されてるか知りたくてイタズラしてるんです、きゃ、乙女心は複雑ですv」
「死ねばいいのに」
すっぱり吐き捨てる。
「はー、今度はちゃんと寝かせてくださいよ。とっとと帰ってください」
「いやーん、せっかく助けてあげたのに、お礼もナシですか?」
「お礼」
「はい、夢の中では、恋人だっていくら言ってもしてくれなかったことですv」
「…………寝かせてくれてもいいと思いませんか……」
「嫌ですvしてくれないなら、遠慮無くいただきますv大丈夫、夢の中と違って、私は気持ち良くしてあげられますから」
「黙れ、魚類」
言って、真横の少女を押さえつける。
「あら」
「アレが夢だと分かった時。僕は自分の夢にあなたが入り込んでいるのが分かって……それでも、白百合姫という欠片じゃなくてあなたが全部欲しいと思った。……多分、あの鏡、割らずにいたら……僕はあなたの魔法がかかって、目が覚めなくて。一緒に夢に入り込んだあなたも、夢から出られなくなったのではないですか?」
「そうですよ。欠片とはいえ、私を、あなたが死ぬまでずっと独占し続けることは可能でしたけれど」
「……冗談じゃありません。フェアじゃないでしょう。僕が死んだら、夢が解除されて、あなたは解放されるんでしょう?そんな一時が欲しい訳じゃない」
「ふふ」
「なんですか?」
「いいえ、何でも。じゃあ、一時以上あなたの物にするために、頑張ってくださいねぇ?」
「……むかつく。目が覚めて良かった」
泣かせてやりたい、本当に。
そう言った彼を見上げながら、リリィは楽しそうに笑った。

わたくしは、あなたがのぞんでくれるなら、ほんとうに……しぬまでいっしょでも、よかったのよ?
だって。

寿命は確かに長いですが、食べずにずっと眠っていたら死ぬのは、私も同条件なんですからね?

ということで、相川さんの誕生日プレゼント2010・ミケさんエンディングでした。
何か色々と頑張っててくれてたみたいなんですが(笑)ひとまず本編だけ?頂いた形になるのかな(笑)
もう何かこのシリーズだけでパラレルみたいに出来ますよね(笑)というくらい萌えました、危うく特設ページを作るところでしたがすんでのところで踏みとどまりました(笑)
相川さん、どうもありがとうございましたv

リリィエンドを見る

その手鏡を掴んだリリィは。
「だから、真実なんて、いりませんよね!」
鏡を床にたたき付けた。

かしゃーん、というガラスが砕ける音。
「な」
「私を、愛しているんですよね?じゃあ、これでいいですよね?」
にこり、と凄絶に微笑んでリリィは一歩踏み出す。
「な、何してるんですかっ!」
「閉じこめちゃおうと思ってv」
「何言ってるんですか!」
怒鳴られて、一瞬リリィは泣きそうに顔を歪める。
「あなたはやっぱり、ここにはいたくないって、この、わたくしよりも別のわたくしの方が」
「ガラス踏んでるでしょう!怪我したらどうするんですか!動かないで!」
「え」
「そっと移動して!で、ベッドの上に避難してください。ああ、もう、すぐ片付けますから」
「……ミケ」
「なんですか?」
魔法で浮いて、床のガラスを箒とちりとりで集めるミケを、ベッドの上で座りながら見ていたリリィはそっと声をかける。
「……怒りました?」
「やることが無茶すぎます」
「そうじゃなくて」
「?」
遠慮無くそれを、ゴミ箱に突っ込んだミケはリリィを振り返る。
「あなたは、全部、知ったのではないの?」
「そうですね、思い出しました」
「そう」
「1個だけ、確認させてください。……あなたは、僕の、僕だけの世界のあなたではないのでしょう?」
「そうですね。きっと……もっと冷たく笑う私が見る夢なのでしょうね」
だから、許せない。
ずっとずっと憎悪が溢れてくる。きっと、無理矢理彼の夢に侵入した自分の、心の一部が今の自分。
「そうですか、それならいいです」
「いい?」
「はい。いいです。じゃあ、明日も仕事がありますし、寝ましょうか、女王陛下」
「…………そう、ですね」
釈然としない顔で、部屋へ戻ろうとしたリリィの腕を掴む。
「ミケ?」
「あなたの愛情表現は、恐ろしく歪んでいる。でもね、僕も大概歪んでますから」
楽しそうに、ミケは笑った。
「だから、いいんです。気にしないで」
「どういうこと?」
腕を引かれて、押し倒されてリリィは無表情にミケを見上げた。
「だって、鏡を割ったのは、あなただから」
「?」
苦笑交じりにミケは少女を間近に見ながら、言った。
「これが僕の見ている夢ならば、僕が目覚めなければあなたがどこかへ行くこともない。僕を、閉じこめておきたいと言った。僕は、もうどこへも行けないけれど、あなたもここから出られない。それを望んだのは、あなただから。僕に捕らわれることを望んだのはあなただから。他の誰でもなく、あなたが僕を選んだんだから。だから、いい」
主人ではなく、自分を選んだのだから。彼女の一欠片とはいえ、自分に捕らわれることを、彼女が望んだのだという事実。
「どうやったら、奪い取れるか、考えていたけれど、こういう取り方があるとは」
「……卑怯ですねー」
「……あなたにだけは言われたくないセリフです。……ま、あなたが僕を嫌いになろうが、もう出られないんで、覚悟してください」
「……この世界は、続いていきますよ。あなたこそ、覚悟できていますか?」
「覚悟がなかったら、最初からあなたに手なんか伸ばさないんですよ」

くす、と笑って。

「逃がさない。僕の夢であなたの夢だから、ハードな毎日が待っていそうだし、予測も付かない事件が起きそうですけれど。……お付き合いくださいね。多分僕が死ぬまで。……死んでも逃がさない方法を、考えますが」
「勿論、付き合いましょう。誰にも渡さないつもりですよ、それが、本当のわたくしであっても。さ、楽しく……行きましょう」

月の照らすベッドの上で、青年と少女が眠っている。誰も来ないような、森の奥の小屋で。
魔法で眠り続ける彼らは、目覚めることはない。このままだと死んでしまうだろうに……それでも2人の口元には楽しそうな笑みが浮かんでいた。

ということで、相川さんの誕プレ2010、リリィエンディングです。
これはこれで…幸せなエンディング?(笑)何かこの2人でハッピーエンドを考えると必ずヤンデレ方向に突っ走るんですが(笑)
結局、リリの言ってることっていうのは「全てを捨てるくらいの愛じゃなきゃいらないよ」っていうことなんですよね。それって完全に、べったり依存の構図じゃないですか(笑)マジヤンデレですわね(笑)
それを叶えたなら、こういう終わり方もアリなのではないかな、と思うのです。相川さん、どうもありがとうございましたv

ミケエンドを見る