「…よし、これで終了、っと…」

書類の最後の一枚に印を押して、リリィはふうと息をついた。
「はい、ご苦労様でした」
その書類を横からさらって、トントンと整えるミケ。
「ミケさん、仮にも女王に対して『ご苦労様』はないんじゃないですか?」
わずかに不満そうに言うリリィに、ミケはきょとんとする。
「そうですか?じゃあ、言い直します…お疲れさまです、陛下」
「陛下っていう他人行儀な呼び方もどうかと思うんです」
リリィの不機嫌は直らない。
ミケはさすがに眉を顰めた。
「なんなんですか、普通に話せば不敬だと文句、立場をわきまえれば他人行儀だと文句、あなたがワガママなのは今に始まったことじゃないですけどね、いったい僕にどうしろと?」
「そういう理屈ばっかりこねるのもどうかと思うんです」
なおも言い募るリリィ。
ミケは嘆息した。
「本当に、いったいどうしたんですか。
あなたが無茶苦茶を言うのはいつものことですけど、それでもそこまで理屈の通らないことは言わないでしょう。何かあったんですか?」
「別に、なにも」
ふう、とリリィは彼女にしては珍しく大きなため息をついた。
「なんか、ちょっとイライラしてるのかもしれません。当たり散らしてごめんなさい」
「どうしちゃったんですか」
リリィが謝ったことが、よほど衝撃だったらしい。ミケはあからさまに顔色を変えてリリィの顔をのぞき込んだ。
「あなたが謝るなんて、天変地異の前触れですか」
「ミケさん、ケンカ売ってます?」
「いえ。というか、本当に。体の調子でも悪いんですか?」
「そんなこと、ありませんけど」
言い返すリリィの顔色は普段と変わらない。だが、その表情は僅かに陰りがあるように見えた。
「今日は、早めにお休みになったらいかがですか」
「…そうですね、そうします」
目を閉じて嘆息し、リリィは椅子を引いて立ち上がり……
「……っ」
「ちょっ、あぶな…!」
そこでぐらりと体のバランスを崩して、慌ててミケに支えられる。
「…っ、すみませ……」
「もう、なにやってるんですか」
ミケはリリィの腕を支えたまま、咎めるように言って…それから、訝しげに眉を寄せる。
「…ちょっと、熱があるんじゃないですか」
「…そうですか?」
「そうですか、じゃないですよ!調子が悪いなら悪いと言いなさい!」
「別に、言うほど悪くないですよ」
「一人で立てないくせに何言ってんですか。ちょっと、いいから座って。今、典医を…」
「待ってください」
ぎゅ。
元の椅子に座らせようとしたミケの袖を掴んで、それを止めるリリィ。
「本当に、大丈夫です。少し休めば治りますから。あまり、大事にしないでください」
「でも」
「私が調子を崩したとなったら、ヘレンやミケさんや侍従たちの責任問題にもなりかねないでしょう?本当に病気ならともかく、ちょっとした過労ですから…」
「過労だって立派におおごとですよ。僕がついていながらあなたの様子に気づけなかった、立派な責任問題です。おとがめならいくらでもうけますから、今は体を回復…」
「じゃあ」
ミケの言葉を遮って、リリィは彼に寄りかかったまま彼を見上げた。
「ミケさんが、治してください」
「は?」
眉を寄せて見返すミケ。
「回復魔法をかけろということですか?」
「だからそこまでしなくていいですって。過労ですから、休めば治ります」
にこり。
いつものように微笑んで言うリリィ。
ミケは嘆息した。
「じゃあ、早く部屋に帰って休みなさい。食事は今日は部屋に運んでいただくようにヘレンさんに…」
「でもー、今はまだ部屋に帰れるほど体力残ってないんです」
「じゃあやっぱり典医を…」
「ですから!」
ぐい。
リリィは今度はかなり強引に、しかし弱々しい力でミケの袖を引いた。
「あそこで、一休みします」
「あそこって」
指し示した先は、応接用のソファ。
女王の執務室のソファなだけあって、材質も座り心地もかなり高級な部類に入る。だが、そもそも横になるために作られたものではない。
「あんなところで寝て回復できるんですか?やっぱりちゃんと部屋に帰って…」
「じゃあ、ミケさんが私を部屋まで連れていってくれるんですか?お姫様だっこで。きゃv乙女の憧れですよね、お姫様だっこv」
「ちょ、無理言うな。僕の力でそんなこと出来る訳ないじゃないですか」
「ですよねえ。知ってます」
「うわむかつく」
「ですから、あそこまでで妥協してあげますって言ってるんですって。ほらほら、早く連れていってくださいよ」
口調はすっかりいつもの調子だが、その表情も、袖口を掴む手も、やはり弱々しくて。
ミケは嘆息した。
「…わかりました。じゃあ、あそこでちょっと休んだら、部屋に戻ってきちんと寝てくださいね?」
「わかってますって。ほらほら、早く」
「はいはい」
ミケは仕方なさそうに、ふらふらとバランスを崩すリリィの体を支えてどうにかソファまで運んだ。
「よっ……っと。大丈夫ですか、手を離しますよ」
「はい、ありがとうございます。
で、ミケさんはこっちです」
ぐい。
再び弱々しい力で引き寄せられ、疑問を持つ暇もなくミケはぽすりとソファに腰掛ける。
「え」
「それじゃ、おやすみなさーい」
リリィは楽しげにそう言って、腰掛けたミケの膝の上に頭を載せた。
「え、ちょ、な、何するんですか!」
慌てて言い募るミケの表情を、乗せた頭を僅かに上に向けて見上げる。
「膝枕ですけど」
「そんなのは言われなくてもわかります!」
「ミケさんがこうしててくれれば治ります」
「なんなんですかそれは!」
「ミケさん、私の調子が悪いのに気づかなかった責任を取るんでしょう?」
ぐ、と言葉に詰まるミケ。
リリィは満足そうに微笑んで、またごろんと顔の向きを戻した。
「~~っ、男の膝枕なんて堅くて寝心地悪いでしょうっ」
頬の紅潮を抑えられずに、それでも悔し紛れに言ってみるミケに。
「そうでもないですよ、ミケさん筋肉ないから」
目を閉じたまま、平然と言い返すリリィ。
「…一休みしたら、さっさと部屋に戻って休むんですよ!」
「はいはい。おやすみなさーい」
すう。
言い残して、すぐに寝息を立てるリリィを複雑そうに見下ろして。
「まったく……悟られずに無理をすることばかり上手で困ります」
柔らかい髪に指を差し入れ、撫でるようにそっと梳く。

「…あなたが頼っていいのは、この膝だけではないんですからね?」

そんな本音を、ぽつりと漏らしながら。
侍従長と女王の静かな午後は、ゆっくりと暮れていくのだった。

箱根からの帰りの電車の中で、ポメラで書きました(笑)
ミケさん膝枕バージョンです(笑)誰得だなんてそんな、私得です(笑)良いですよねえ膝枕、なんかあかんことしてる気分になるわぁ(土岐さん(笑))
女王と侍従長設定は、この侍従長の振り回されっぷりに萌えるべきです(笑)