「話は終わったの?エリー」
話し相手が辞したドアから、銀髪の少女が入れ違いに入ってくる。
それには答えず、彼は口に手を当てたまま真剣な眼差しで虚空を睨んでいた。
「……エリー?何かあったの?」
エリーと呼ばれ、彼はそのまま視線を少女に移した。
「……リー。すまないが、しばらく別行動をとらせてくれ」
「…どうしたの?」
訝しむ少女に、複雑そうな表情でため息をつく。
「…俺の師匠が、現世界に来ているらしい」
「師匠……って、天界の?」
「ああ。俺の幻術の師匠だ。正確には軍官学校の教授だな。
それが、天界を抜け出して現世界に来ているらしい」
「…天界と現世界の行き来って、確か厳重に管理されてて、それを破ったり転移の術を使ったりするのは違法じゃなかった?」
「無論だ。師匠は幻術で現世界の調査団に成りすまして門番の目をかいくぐり、あとで成りすまされた本人が現れて大騒ぎになったそうだ」
「………それって、結構大事じゃない?」
「結構どころじゃない。大変なことだ」
彼は肩をすくめて、嘆息した。
「師匠はなんというか、幻術に関しては天界髄一の使い手で、それなりに信頼され地位もあるんだが、困ったことにこういう悪ふざけが大好きな人なんだよ。賢人議会も師匠のこの性格には手を焼いているようでな。……まったく、困ったもんだ」
「それで、教え子で現世界にいるあなたに白羽の矢が立ったって訳?」
「ま、そういうことだな。ちょっと手間取りそうだ」
彼は嘆息して、少女に告げた。

 「人でも雇って手っ取り早く探すことにするさ」
>「…が、まあいい。嫌な予感がするし、俺一人で探すことにしよう」

「…が、まあいい。嫌な予感がするし、俺一人で探すことにしよう」
少女は彼の言葉に、心配そうに眉を寄せた。
「あなた一人で?大丈夫なの?あたしにできることなら…」
「いや……強烈に嫌な予感がするんだ。一人で行かせてくれ」
未だかつてない彼の迫力に気おされた様子で、少女はきょとんとした。
「そ……そう?じゃあ、無事に見つかるのを祈ってるわ」
彼女の応援も半ば上の空で、虚空を見つめるエリー。

彼の果敢な挑戦が、始まろうとしていた。

「さてと…思ったより厄介なことになったな」
テーブルに広げられた地図を見下ろして、エリーは嘆息した。
彼の師匠である、ぺ…………ジョン・ウィンソナーを探すにあたり、魔道士を探すなら誰もが最初に行うこと…魔力感知を試みた。
魔力は人によって異なり、同じ波長の魔力は二つとしてない。指紋のようなもので、これが固体識別にも役立つのだ。
が、ウィンソナー師の魔力を感知したところ……
「……3つ、か」
そう。なんと、同じ波長は二つとして存在しないはずの魔力が、同時に3箇所から感知されたのだ。
「どれか一つは本人だろうが……マジックアイテム、だろうな。面倒なことをする…」
感知された場所に、赤く印をつけていくエリー。
NS通り一番街、ベーハム・ベーカリーの裏手に位置する、古びた教会。
大通り二番街、中央公園裏の墓地のすぐ側にある、喫茶『厚化粧』跡。
サザミ・ストリート三番街、ゼラン魔道塾隣の空き家。
あまりに脈絡のないラインナップに、ため息すら出る。
「…しらみつぶしにあたっていくしかないか。まずは、ここからだ」
ぴっ。
一番街の教会に大きくチェックを入れ、エリーは表情を引き締めた。

捜査線は踊るかも

「警部!聞いてるんですか、警部!」
飛んでいた意識が一気に引き戻される。
酷く聞き慣れた、いとおしい響きを持つ高く澄んだ声。目の前にいる声の主に、未だはっきりしない意識のままその名を呼びかける。
「………リー……?」
名を呼ばれ、彼女はさらに眉を吊り上げた。
「もう、またボーっとして!重要な伝達事項なんですから、ちゃんと聞いてください!」
怒りのこもった声と表情で言われ、やっと意識が覚醒する。
彼はこの理解不能な状況に、思いきり眉を潜めた。
「な……な、んだ、ここは?」
自分は地図に示されたとおり、古びた教会の中に足を踏み入れたはずだった。しかし、その瞬間気が遠くなって…そして、ここに座っていた。
見たことのない風景。たとえて言うなら学校の中に似ていたが、そこはかとなく漂う雑然とした雰囲気とタバコの匂いがそれを否定する。広い部屋に整然と並べられた机。その間を、スーツを着た人間が何人か行き交い、忙しそうに言葉を交わしている。
「まさか、寝ぼけてるんじゃないでしょうね?サラディ警部」
その中で、唯一見慣れた存在であるその少女が……さらに剣呑な表情を見せる。
いつもは後ろで纏めて流している綺麗な銀髪を、きっちりと編んで後ろでまとめて。かちっとした紺色の制服が、生真面目な彼女に妙によく似合う。が、そのどれも、普段の彼女には見られないもので。
というか、別行動をすると言って別れて出たはずの彼女が、なぜここにいるのだろうか。そして、自分のことを警部だなどと、わけのわからないことを言っているのか。
いくつも浮かんでくる疑問をよそに、彼女はふぅ、と嘆息して腕組みをした。
「ここはヴィーダ市警察本部。あなたは麻薬課のリーダー、エリウス・サラディ警部。あたしはその部下、リーファ・トキス巡査。現在、リュウアンマフィアの握っている麻薬ルートの捜査が大詰めを迎えているところです。潜入捜査に出ていた者から連絡がありました。その報告を元に大規模な突入をするところです」
いつもの彼女の口調で、淡々と状況説明をしていく。それは紛れもない彼女なのだが、彼女の発する単語は一切覚えのないもので。
と。
「……っつっ……!」
突然、頭の中に何かが『入ってきた』感覚に、痛みはないものの頭を押さえる。
と同時に、彼女の言っていた単語の意味、今の状況、この建物の情報や追っているマフィアの情報まで、あっという間に『感じられる』。それが当たり前のものとして。夢の中で、ありえない夢の世界が当然に感じられるように。かといって、現実の記憶も感覚もある。ひどく混沌とした、もどかしい感覚。
(……っ……これは……)
そこまで来て、やっと彼は理解した。
(先生の……術、か?)
おそらくは、建物自体に何らかの術がかけられていたのだろう。入ったものに、術者の望む『世界』を『体験』させる幻術をかける。
なるほど、ひどくよく出来ている。五感を支配し、望んだ世界を見せるだけならともかく、隅々まで隙なく作りこまれた世界観を記憶として認識させること、そして何より、『彼女』が登場している、ということは。
(俺の頭の中を読んだ、か………くそっ)
声には出さずに毒づいて、額を押さえたまま苦い表情になるエリー。
彼の頭の中を読み取って、その記憶にある少女の姿をそっくりそのまま術で再現した。姿も声も、彼の知る現実の『彼女』と寸分も違わない。その術の腕は、不本意だがやはり自分の『師』なのだと認めざるをえなかった。
「……警部?どうか、なさったんですか?」
先ほどまでの不機嫌な表情はどこへやら。頭を押さえたまま返事をしないエリーを訝って、リーが心配そうに顔を覗き込む。
「……いや、なんでも…ない。それより、報告を聞こうか」
エリーは額から手を放すと、リーにそう促した。
この場所も事件も、目の前の彼女も、何もかもがウィンソナー師の作り出した幻影なのだ。一度術にはまってしまった以上、自力で術を解いたり返したりするのは難しい。ならば、この作り上げられた『世界』での自分の役割を全うし、物語を終わらせるしかない。
市警の麻薬課の長である自分。2年にわたって追いかけ続けていたリュウアンマフィアの流通ルートの全容が、あと一歩で解明されようとしている。信頼できる情報屋から買った情報は、かつてない大きな取引のものだった。現場を押さえれば、一網打尽に出来る。この機を逃せば、全容はまた闇の中に逆戻りだ。
部下であり、プライヴェートでは恋人でもあるリーと共に、麻薬組織の壊滅に乗り込む。それが、この世界での自分に課されたストーリー、というわけだ。
彼の言葉に、リーは再び表情を引き締めると、手にしていた書類を読み上げた。
「今夜1時、ウェルド埠頭の17番倉庫。かなりの人間が動くようです。ひょっとしたら、マフィアのボスも出てくるかもしれない、とのこと」
「チャンスだな」
「でも……こんなに判りやすいチャンスがあっていいんでしょうか」
リーは書類からエリーに視線を移し、眉を顰めた。
「罠だっていうことも…」
「その可能性はあるな」
エリーは肩を竦め、立ち上がる。
「だが、罠なら罠で嵌ってみなければ見えないこともあるだろう。ここでこうしていても事態は動かない、どころか逆戻りしかねん」
「そう……です、ね。そこまでお考えなら、止めません」
リーは書類を机の上に置き、力強く微笑んだ。
エリーもそれに誘われるようにして、ふ、と微笑む。
「よし、行くぞ、リー」
「勤務中は巡査とお呼び下さい、警部」
生真面目にぴしゃりと言って、リーは歩き出したエリーの後に続いた。

午前1時。
ウェルド埠頭の倉庫街は、しんと静まり返っていた。
時折響く汽笛が、聞かれるものもないまま空へと溶けていく。
「警部」
倉庫街を見下ろすエリーに、リーが声をかける。
「17番倉庫近辺に配置完了しました」
「ずいぶん遅かったな」
「ええ、ちょっと下調べを」
にこりと微笑むリー。
「成果はあったのか?」
「五分五分、といったところですね。人の気配がなさ過ぎて…」
そこで少し表情を曇らせて。
「本当にここなのかしら…」
が。
「……どうやらビンゴだな。見ろ」
ぽ。
エリーが指差す小さな窓に、うっすらと灯りがともる。情報通りの、17番倉庫。
エリーは立ち上がると、不敵に表情を歪めて、歩き出した。
「3分後に突入を開始する。速やかに準備を」
「了解です」
リーは頷いて、その後に続いた。

かち。
ノブをまわしてみると、鍵はかかっていなかった。
中に誰かがいるということだ。
傍らのリーと視線を合わせて頷き合い、そっとドアを開ける。
中をうかがえば、闇にだいぶ慣れてきた目にうっすらと倉庫の中の様子が見て取れた。
人の気配はない。
(もっと奥か……?)
考えて足を止めたエリーの脇をすり抜け、リーがその先へと足を進めた。
(おい、待て)
声を上げるわけにも行かず、手を掴んで引き止めようとするが、思わぬ速さで奥へと進んでいく彼女にそれも叶わなかった。
突き当りに位置するもう一枚の扉。おそらくは、奥への入り口だ。
先ほどと同じように、ノブに手をかけるリー。
(待てっ……)
危うく声を上げそうになる、が。
がちゃり。
彼女がノブを回すより早く、ノブが回って勢いよく扉が開く。
「きゃっ……」
ノブを握った状態でバランスを崩され、小さな声を上げてリーが体勢を崩した。
「リ……」
「はーい、2名様ごあんなーい」
彼女に声をかけようと足を踏み出すのと同じタイミングで、ドアの向こうから緊張感のない声が響く。
(こ、の声は……)
嫌な予感がする。
眉を寄せてエリーがドアの向こうに目をやると、そこには予想通りの人物がいた。
リーの手首をすばやく掴んでひねり上げ、背後に回って腕を拘束する。
「……っく……!」
リーは苦しげに表情をゆがめ、背後の人物に目をやった。
にやり、と笑ったのは、褐色肌に金と赤のメッシュの髪を持つ少女。
現実世界でエリーがリーと共に旅をしている、半魔の少女……ロッテ、だった。
(こいつまで出てきやがった……!)
半ばうんざりとした気持ちで、声には出さずに毒づく。
むろん、今はいつも着ている身軽な旅装束ではなく、丈の長い黒のナイトドレスに身を包んで、髪の毛もアップにして纏めている。大きくスリットの入ったスカートから覗く太股には、ナイフホルダー。恐ろしく判りやすい『マフィアの情婦兼ボディーガード』といったところか。
(……と、いうことは……)
その先の状況が、容易に予測できる。あまり嬉しくはないが。
かつ。
その期待(?)に答えるように、部屋の奥から硬い足音が響く。
「いくら取るに足らぬネズミとはいえ、あまりにうろちょろされると目障りなのですよ」
そして、やはり聞き覚えのある、ハスキーな少年の声が耳に届いた。
(…やっぱりな……)
さらにうんざりとした気持ちで、思わず半眼になるエリー。
数名の黒服の男達と共に登場したのは、予想通りの人物だった。
膝まであろうかという長い黒髪。ロッテと同じ褐色肌に、一見穏やかそうに見えるオレンジ色の瞳。小さいが高価そうな片眼鏡に、暗い紫色のスーツ。
こちらもいつもの格好とは違うが顔見知り。ロッテの…恋人、と言っていいのだろう。魔族の少年、キルだった。
「ネズミに気取られぬようにネズミ捕りを仕掛けるのは大変でしたが…私の姫君がよくやってくださいましたよ」
キルがにこりと微笑んで言うと、ロッテがリーの腕を拘束したままできゃはは、と声を上げた。
「やだん照れちゃう。突っ込んできたこのコっちの密偵をタラしこんで嘘情報流しただけだよ~」
「…っく……」
ロッテの言葉に、腕をとられたまま悔しそうに歯噛みをするリー。
つまりは、この取引自体が、最初に彼女が懸念した通りの、自分達を嵌める罠だったということだ。
(他の部下達に知らせなければ…)
考えながら、じり、と靴先を動かせば。
「ああ、他の場所に潜伏していた方たちですが」
キルがにこりと笑って告げる。
「あまり大勢で騒がれるのも鬱陶しいので、処分させていただきましたよ。総勢15名ですか、麻薬課のほぼ全員ですね?ご苦労様です」
「………っ!」
キルの言葉に、声を失うエリー。
自分達以外に配置したほぼ全員が、見つかってしまったということか。人数を正確に告げたということは、はったりでもなさそうだ。
「絶体絶命、ってトコかなぁ~?んふふ」
ニヤニヤ笑いながら、心中を勝手に代弁するロッテ。
しかし、そう認めざるを得ない状況に、言い返す言葉も出ない。
(魔法……は、使えない)
何度か試みたが、この世界そのものが「魔法」という法則のない世界なのだろう。使おうとしても、力の波動が感じられない。武器は、懐に納まった銃のみ。現実世界では銃など触ったこともないが、この世界での「サラディ警部」は、市警でも1、2を争う銃の名手だ。
しかし、リーを人質に取られている格好では、手も足も出ない。
このまま、罠にかかった獲物よろしく殺されるのを待つしかないのか。
「…………」
さまざまに考えを巡らせながら、しかし解決に向かう案などなく。
が。
「警部、逃げてください」
突如、ロッテに捕らえられたままのリーが言い、エリーは驚いてそちらを見た。
拘束しているロッテも驚きの表情を見せる。
「なっ……何を言うんだ」
「このままでは、二人とも死ぬだけです。あなただけでも逃げて、捜査チームを再構築してください」
「バカなことを言うな!」
強い口調で否定するエリー。
が、リーの口調は冷静で、にべもなかった。
「あたしは一番理にかなった策を述べているだけです」
「そんなこと、出来る訳無いだろ!」
「言い合いをしている暇はありません、早く逃げて!」
少し切羽詰った声で、リー。
「んー、健気な愛情だねえ」
彼女の腕を取っているロッテが、楽しそうに笑う。
「このコ、キミのカノジョなんでしょ?そらー一人置いて逃げるなんて出来ないよねえ」
くすくすと肩を揺らして。
エリーは口をつぐんでそちらを睨みやる。
ロッテは楽しそうに続けた。
「このコ、かーぁいいしねぇ?殺すのももったいないから、ボクのペットにしちゃおっかなぁ?
ちーっと発育不良だけど、ソコがまたいいんだよねぇ」
片手でリーの両腕を拘束したまま、もう片方の手で彼女の頬から顎に指を滑らせる。
「………っ!」
かっとなって足を踏み出すエリー。
「だめ、エリー!」
リーがそれを鋭く止めた。
「挑発に乗っちゃ駄目よ!
一人の警官の命と麻薬組織の壊滅、どちらが重要かなんて考えるまでもないでしょう!
冷静になって!早く逃げて、お願い!」
「お前こそ冷静になれ!」
リーの言葉を遮るようにして、エリーは声を荒げた。
「一人の警官の命、だと?警部と巡査に命の重みの違いなどないさ。
お前の命が使い捨てだと言うなら、俺だってそれは変わりない。
俺が死んだところで、警察という組織がある限り誰かが俺の代わりをする」
きゅ、と眉を寄せて。
「…だが、俺にとって、お前の代わりはいない」
その言葉に、リーの頬がさっと赤くなる。
「ばっ………」
二の句が告げない様子のリーの後ろで、ひゅう、と口笛を鳴らすロッテ。
「あっついねー!んじゃ、二人仲良く死ぬ?」
リーは頬を染めたまま、そちらを半眼で睨んだ。
「……そう、上手くいくかしら?」
「……なに?」
そう、ロッテが問い返した時だった。
しゃああああっ!
「?!」
突然、上から大量の水が降り、二人の少女はもちろん、部屋にいた全員をあっという間に濡らす。
「んきゃあっ!なに?!」
予想外の事態にロッテの体勢が崩れたその隙を狙って、リーが腕を振り解き、身を低く落としてロッテの腹部に肘を入れた。
どす。
「ぐうっ…!」
軽い悲鳴を上げて身体を折るロッテ。
「リー、伏せろ!」
言うと同時に懐の銃を抜き、エリーは引き金を引いた。
だん!
放たれた銃弾がロッテの肩を掠める。
「あうっ……!」
だん、だん、だん。
送れて銃を抜こうとした、キルの周りの黒服の男達の肩を正確に打ち抜いて。
転がるように伏せたリーが、身を起こしてエリーに駆け寄ってくる。
「くっ……!」
ロッテは悔しそうな表情で身を起こすと、ホルダーからナイフを取り…
「そこまでです、姫君」
それを、穏やかな声が遮る。
「でも!」
キルを振り返ったロッテが講義するが、彼は笑顔でそれを否定した。
「スプリンクラーが作動したようです。ここで何かがあったことを、警備会社が察知したでしょう。
ここの警備会社は優秀です。すぐにもここに駆けつけてくることでしょう。時間切れですよ」
「……んもぉっ!」
ロッテは血の流れる右肩を押さえながら、悔しそうに言った。
「…その顔、覚えたからね!」
リーとエリーに向かって言い、踵を返して建物の奥へと駆けていく。
キルはそれを確認すると、にこりと二人に微笑みかけた。
「今回は、ここでお暇させていただきますよ。
…また、お会いしましょう」
「……今度会うときは手錠をかけてやるさ」
エリーが言うと、キルはさらに深く微笑んだ。
「期待していますよ。では」
言って踵を返し、ロッテと同様に建物の奥へと消えていく。
その後を追って、肩に傷を負った黒服の男達も消えていった。
「ふう……どうにかなったわね」
傍らで胸を撫で下ろすリーのほうを向き、エリーは首をかしげた。
「あのスプリンクラーは……」
リーは悪戯っぽく微笑んで、それに答える。
「準備の時に、ちょっとした仕掛けを、ね。
あたしが止めなければ、一定時間で爆発するようにセットしたの。
止められない状況にあるっていうことは、何かが起こったっていうことでしょ?」
「それで準備に時間がかかってたのか……」
結果的に良い方に転んだとはいえ、無茶な行動だ。自分に事前に知らされていなかったというのも微妙に癪ではある。
「…ごめんなさい、勝手なことして」
その表情を察してか、ばつが悪そうに上目遣いでこちらを見上げるリー。
エリーは苦笑した。
「いや、お前はよくやったよ。自分を犠牲にするような発言さえなければな」
「あれは……だって」
「捕まったのもあの発言もわざとだっていうなら、少々お灸をすえてやらなきゃならないが」
「それは違うわ」
リーは不満げに否定の言葉を漏らした。
「何度同じ状況になっても、あたしはそう思うしそう言う。
あなたには、生きていて欲しいもの」
「……ったく……」
この少女はいつだって、思いをまっすぐに口にする。どんな思いも、何のためらいもなく。
「お前はそう思っても、俺はごめんだね。お前のいない人生に一人残されたところで、生きている意味なんかない」
自分には、これが精一杯だというのに。
「エリー……」
リーは目を丸くして彼を見、それから頬を染めて微笑んだ。
「……ありがと」
スプリンクラーの水で濡れたその姿が、可愛らしい中にもどこか艶めいていて。
エリーは彼女の肩に手を伸ばした。
「……リ……」

すか。

「!……」
手が空を切ったのと同時に、あたりの景色が一変する。
割れたステンドグラスからかすかに漏れる日光。
埃だらけの礼拝堂。
彼が最初に足を踏み入れた、教会だった。
「……っ、だからなんなんだこれは…!」
微妙にいい所で現実の世界に戻されて、悔し紛れに埃の舞う床板を踏みしめてみる。
と。
ひらり。
頭上から何かが落ちてきて、彼は目の前でそれを手に取った。
一枚の紙切れ。何かが書いてある。

そらのあおと、うみのあお
たがいに見つめてこいをした
そらのわけめのすいへいせん
しずんだおひさま、なんのあじ

「…………なんだ、これは……」

あるいは、未知との遭遇

「………ん……」
目が覚めると、目の前には白い天井が広がっていた。
身体を動かしてみれば、ふわりと柔らかいがやけに狭い感覚。まるで棺桶の中で眠っていたかのようだ。眠ったことはないが。
「…なんだ……ここは」
身体を起こせば、ずいぶんとだるい。長い間寝ていたような感じだ。
「おはよう。お目覚めはいかが?」
と、背後から聞き慣れた声がして、そちらを振り返る。
すると、そこにはやはりリーが笑顔で立っていた。いつも纏めている髪を下ろし、白いスーツのような…しかしスーツよりも装飾感のない変わった服を着ている。
「…なに、どうしたの?コールドスリープしすぎでボケちゃった?」
呆然とした自分の様子に、少し苦笑してリーが言う。コールドスリープ。聞いたことのない響きだ。
「……っ……」
と、また頭の中に大量の情報が『入ってくる』。
ここは星から星へと宇宙空間を縫って荷物を輸送する貨物船プラッツ号。自分はその輸送会社で働くパイロット。リーは通信士。航行が安定し、自動操縦に切り替われば、長い時間をただ無為に過ごすのもエネルギーの無駄であるので、冷凍睡眠……コールドスリープをすることになっていた。
そして母星への到着時間が近づき、コールドスリープのタイマーが作動して目覚めたのだ。どうやら、リーは自分より先にコールドスリープから目覚めたらしい。
エリーはその情報を飲み込むと、頭を振って肩を竦めた。
「……ああ、大丈夫だ。今どのくらいだ?」
「あと20光年ってとこかしら。久しぶりのテラね、楽しみだわ」
そう言って微笑んでから、はい、と手に持っていたカップを差し出すリー。エリーはサンキュ、と受け取ると、温かい飲み物を口に含んだ。コーヒーだ。
テラというのは母星の名前。貨物輸送のための航行に出て、早半年。ようやく、住み慣れた母星へと帰ることが出来る。
エリーは立ち上がってコールドスリープマシンから出ると、コーヒーカップを傍らの机に置いて伸びをした。
「船長は?」
「もう起きてるわ。コックピットにいるわよ」
「そうか。じゃあまあ、行くとするか」
「ええ」
エリーは再びカップを手に取ると、歩き出した。リーもそのあとについて歩き出す。
スイッチに触れるだけで自動的に開くドアを抜け、コックピットへに続く銀色で無機質な廊下を歩いていく。
入ってきた記憶で、船長が誰かは判っている。不本意ではあるが、先ほどよりは幾分かましだ。
(……ったく、よく作るもんだ。幻術やるより小説でも書いたほうがウケるんじゃないのか?)
口には出さずに毒づいて、突き当たりのドアを開けると、大きな窓の外に暗い宇宙空間が広がっていた。その手前に広がるコントロールパネル。いつも自分が操作をし、船を動かしている。
そして、入り口近くに、室内全てを見渡せるように置かれている大きな椅子。そこに、問題の船長が座っていた。
「随分遅いお目覚めですね」
自分の方を見て、にこりと微笑む船長。リーと同じようなスーツに似た服(自分も同じものを着ているのだが)を纏ってはいるが、長い黒髪も褐色肌も、何よりその慇懃な微笑みも先ほどと何一つ変わらない。
「これは失礼いたしました、キル船長」
肩を竦めて皮肉交じりに敬語を返すと、彼はさらに微笑みを深くした。
「ネロは貴方の声紋にしか反応しないのですから。早く彼女も起こしてあげてください」
「へいへい」
エリーはコントロールパネルへと足を進めると、中央のモニタの前で足を止め、その下のマイクに向かって声を出した。
「ネロ。おはよう、そろそろテラだぞ」
ヴン。
その声に反応するように、真っ暗だったモニタに明かりがともる。
そして、そこには3DのCGで描かれた女性の顔が映し出されていた。
『おはようございます、エリウス。お目覚めはいかがですか』
機械的な女性の声が室内に備え付けられたスピーカーから流れ出す。エリーは苦笑して、『彼女』に語りかけた。
「まずまずだな。ちょいと寝坊して、船長に怒られたが」
「船長より長く寝ている部下もどうかと思いますよ」
その言葉にキルが口を挟み、エリーは再び肩を竦める。
「へいへい。ネロ、そういうわけだからスリープを解除してくれ。荷物に異常はないか?」
『はい、倉庫の気温・湿度共に最良の状態を保っています』
「OK。通常に戻ったらテラとコンタクトを取ろう。スリープ解除が完了したら教えてくれ」
『了解しました』
モニタに映った女性は、表情のないままにエリーの言葉に返事を返す。
彼女は『ネロ』。このプラッツ号のメインコンピュータにインストールされた高度な人工知能である。
パイロットであるエリーの声紋に反応し、その命令を実行する。船内の気圧・気温・湿度の管理はもちろん、エンジンやワープを始めドアの開閉に至るまで、船内の機械は全てコントロールしていると言っていい。もちろん、ネロをコントロールするのはエリーを始めとする乗員なのだが。
スリープ状態を解除したことで、ネロはエリー以外の乗員の声も認識するようになる。
「ふう。……そういえば、あいつはどうしたんだ?まだ寝てるのか?」
ネロに指示を終え、エリーはきょろきょろとコックピットを見渡した。
「姫君でしたら、エンジンの整備をしているはずですよ」
それにはキルが答える。エリーは眉を顰めた。
「エンジンに異常があるのか?」
「さあ。あの方はああ見えて職人気質ですからね、少しの異常も見逃せないのでしょう」
「ったく、仕方がないな。スリープが解除されるまでまだ時間があるし、ちょっと見てくる」
エリーは踵を返して再び入り口へと足を運んだ。
「あたしも行きましょうか?」
リーが言い、エリーは首を振る。
「いや、お前はここにいて、スリープが解除になったらテラとコンタクトを取ってくれ」
「了解。気をつけてね」
「…何をだ」
「……いろいろと」
微妙な表情になるリーに、微妙な表情を返して。
「じゃ、行ってくる」
エリーはスイッチに触れ、開いたドアから外へと出た。

「いよーう性悪パイロット。何か用?」
エンジンルームの天井からぶら下がって、彼女……この船のメカニックであるロッテは陽気にそう言った。
エリーは眉を顰めて彼女に答える。
「あんたがエンジンの整備なんかしてるっていうから来たんだろうが。何か異常があるのか?」
「んー、そう思ったんだけどねえ」
ロッテは眉を寄せて、よっ、という掛け声と共に天井からひらりと床に降りる。
「何かヘンな音がすると思ったから見てたんだけど。エンジンに異常はないみたいなんだよねぇ」
「ネロも船内に異常は無いと言ってたぞ」
「だよねぇ。ボクの気のせいかなあ」
「色ボケしすぎで耳までおかしくなったんじゃないのか?」
「そーれーはーキミには言われたくありませんー」
「俺もあんたに言われるのは心外だね」
「ったくぅ、リーもこんなオトコのどこがいいんだか」
「俺も船長の趣味を疑うがな」
先ほどの世界と同じく、4人の人間関係は現実の世界とほぼ同じのようだった。まあ、変に仲が良くてもやりにくくはあるのだが。
現実世界とさほど変わらない応酬をしていると、スピーカーからリーの声が響く。
「エリー、ちょっと」
「どうした?」
エリーの声に応えるように、リーの映像がホログラフで表示される。
「テラとコンタクトが取れないの」
「何だと?」
エリーは眉を顰めた。
「スリープは解除されたのか?」
「ええ、それは間違いないわ。けど、コンタクトを試みても一向に返事が返ってこないの」
「妙だな」
「通信アンテナがイカれちゃったんじゃない?」
ロッテが言い、リーは困ったように首をかしげた。
「その可能性はあるけど……」
「んじゃ、ボクちょっくら見てくるよ。そんで異常なかったら、他調べてみればいいでしょ」
「お願いできる?」
「おーけー」
ロッテはひらひらと手を振って、出口へと向かう。
エリーは一瞬迷ったが、その後を追って外へ出た。

「どうだ、様子は」
機密服を着て船外作業をしているロッテに、中から通信をかけてみる。
「んー、ぱっと見異常なさそうだけどー。ちょっと調べてみるね」
ロッテは言って、作業を開始した。
船内からモニターでその様子を見守るエリー。
コックピットから、リーとキルもその様子を見ているはずだ。
「アンテナに何かが接触したなら、ネロが知らせてくれるはずだが…」
「だぁよねぇ……」
ロッテはぼやきながら、アンテナ部分をかちゃかちゃと弄っている。
と。
「え、なに?!」
突如、切羽詰ったロッテの声がして、エリーは驚いてモニターを見た。
その時。
「んきゃあぁっ!」
ロッテの悲鳴と共に、モニターに小さな爆発が映し出される。
「ロッテ!」
コックピットから、リーの悲鳴に似た声。
「……っ……!」
エリーは慌ててパネルを操作し、扉を開けてロッテを回収した。
しゅう、と減圧室から音がし、扉が開く。
エリーは中に駆け込むと、床に横たわる機密服に駆け寄った。
ごろり、と裏返すと、胸から肩にかけて機密服が破れ、露になった肌から血が滲んでいる。
「ロッテ!」
ドアが開いて、リーとキルが中に駆け込んできた。
「大丈夫、ロッテ?!」
「わからん…機密服が破損した。少し怪我もしているようだが……」
「……っ」
リーは目を見開いて言葉を失った。身体のケガ以上に、機密服が破れたという事実が重い。空気が無くなると同時に、空気圧が急激に変化し、身体に大きな負担がかかる。現に、ロッテに意識はないようだった。
「……とにかく、医務室に運びましょう。状況を把握しないことには」
キルの、痛いほどに冷静な言葉が響く。
リーは無言で頷いて、エリーと共にロッテの機密服を脱がす作業にかかった。

「どうだった?」
レストエリアに入ってきたリーに問うと、彼女は暗い表情で首を振った。
「意識は戻らないわ。船長が今手当てをしているところよ」
「そうか……」
リーの分のコーヒーも入れ、エリーはもう一度椅子に座ると、溜息をついた。
「……どうなってるんだ……」
「…わからないわ。アンテナが急に爆発したように見えたけど…」
リーも訳のわからない事態に困惑しているようで。
エリーは目を閉じて再び嘆息する。
「…原因を考えても仕方がないな。当面どうするか考えないと」
「そうね……ロッテのことは船長に任せるとして…アンテナが破損してしまった以上、テラとコンタクトを取るのが不可能になってしまったわ」
「そうだな…テラに近づけば、救難船に拾われる可能性はあるが…」
と、エリーが言った時。
ふっ。
突然、レストエリアの明かりが落ちた。
「なっ……何?!」
動揺したリーの声が響く。エリーも慌てて腰を浮かしたが、それと同時に非常灯がオレンジ色の明かりで室内を照らした。
「な…何が起こったんだ?」
眉を顰めて呟くエリー。
と。
『申し訳ありません、エリウス』
スピーカーから、ネロの声が響いた。
「どうしたんだ、ネロ?」
エリーが問うと、ネロは無機質な声で淡々と答えた。
『先ほどの爆発で、接続ケーブルの一部が破損し、船内のサーチが一部不可能になりました。爆発の原因となるものが、船内に侵入した可能性があります』
「爆発の原因となるもの…?」
「……未確認生物が船内に入り込んだってことか?!」
『その可能性があります。この電圧減もそれによるものと思われます』
「くそっ……!」
がっ。
エリーは吐き出すように言って、テーブルに拳を打ちつけた。
「エイリアンが船内に侵入したのなら……船長とロッテが危ないわ!」
リーが言い、そちらに向かって頷く。
「医務室に行くぞ!」
二人は急いで部屋を後にした。

「ロッテ!」
「船長!」
医務室のドアを開けてすぐ、不快な匂いが鼻を刺した。
「なっ……」
こちらも非常灯でよく見えないが、壁に何やら黒いものがべっとりとついている。
そして、部屋に充満する不快な…血の匂い。
「ロッテ!」
リーは奥のベッドに駆け寄ると、そこに横たわるロッテの名を呼んだ。
ロッテの上には彼女を守るようにキルがうつぶせに倒れている。
「船長?!船長、しっかりして下さい!」
揺り起こすが、目が覚める気配はない。
無論、壁にべっとりとついている血のりは明らかにベッドの2人から飛び散っているもので。
傷の具合は非常灯の明かりでは確認できなかったが、服にも大きな血のしみが広がっていた。
「まさか……」
「……ううん、まだ暖かいし、息もしてる。とにかく、ここから運び出さなきゃ」
リーは強い瞳で言うと、横たわるロッテの背に腕を入れて抱き起こした。
「エリーは船長を」
「わかった」
「もうこの部屋にはエイリアンはいないようだけど……」
「いつどこから出てくるか判らない、か。ったく、とんだことになったな」
キルを肩に担ぎ上げてエリーは頷いた。
「でも……どこに行こう」
同じくロッテに肩を貸した状態のリーが言い、エリーは眉を寄せてしばし考える。
「…コックピットしかないだろうな。あそこなら非常電源でも通常と同じ電力が供給される」
「……そうね。とにかく、ロッテと船長の傷の具合を見なきゃ」
「ああ。行くぞ」
血の匂いをさせたままぐったりしている2人を抱え、エリーとリーは急いで医務室を後にした。

「リー、急げ。こうしてる間にエイリアンが来たらアウトだぞ」
「わ、わかってるけど……ちょ、ちょっと、待って…」
小柄とはいえ、意識のない人間を引きずって歩くのはリーのような女性には重労働だろう。息を切らしながら、必死にエリーの後を追うリー。
しかし、ここにエイリアンが現れたらそれこそひとたまりもない。早く安全なコックピットに入らなければ。気ばかりが焦る。
「あともう少しだ、がんばれ」
コックピットの入り口まであと十数歩。エリーは振り返って、数歩後ろを歩くリーを励ました。
その時。
ビーッ、ビーッ、ビーッ、というけたたましい警報音が鳴り響き、エリーは驚いて辺りを見回した。
『未確認生物を捕捉しました。対生物ガスを投射します。乗員は直ちに避難して下さい』
「なっ……」
エリーが何か言うより先に、天井からシューという音とともにガスが噴射される。
「ちょっ…ネロ!何してる!俺たちまで死ぬぞ!」
エリーが叫ぶが、ネロからの返事はない。
「ちっ……ちょっと待ってろ、コックピットのコントロールパネルから手動で止めてくる!」
「お、お願い!」
エリーはいったん肩からキルを下ろすと、急いでコックピットに向かい、ドアを開けた。
が。
しゅん。
コックピットに入った瞬間、即座に閉まるはずのないドアが閉まり、カチッとロックされる音がした。
「なっ……」
だん!
エリーは慌てて振り返ると、ドアを力任せに叩く。
「なんだ…?!おい、リー!開けろ!」
どんどんとドアを叩くエリーの様子に異常を察したのか、リーがロッテを下ろしてドアに駆け寄ってくる音がした。
どんどん、どん。
「エリー?!どうしたの、開けて?こっちのスイッチからじゃ開かない!」
「そっちもか…?!」
ち、と舌打ちして、エリーはドアから一歩下がる。
シュウウゥゥ、と、ガスが噴射される音がこちらにも伝わってくる。このままでは、ロッテやキルはおろか、リーまでもがガスの餌食になって死んでしまうだろう。
エリーは踵を返し、コントロールパネルのモニターに向かって怒鳴った。
「おい、ネロ!今すぐガスを止めて、ドアを開けるんだ!このままでは船長やリーたちまで死んでしまう!」
ヴン。
モニターにネロの姿が映し出される。
彼女は相変わらずの無表情で、機械の声を出した。
『その命令は、実行できません』
「何故だ?!」
『あなたをお守りするのが、私の務めであり、わたしの意思です』
「なに……?」
ネロの言っている意味がわからず、眉を寄せるエリー。
ネロは淡々と続けた。
『あの船長は、あなたのおかげでこの船が動かせているのも理解せず、あなたに不快な言葉を投げかけ、あなたを酷使しています。
メカニックも、あなたといつも口論をしています。あなたはあのメカニックをよく思っていないはず。何故命を助けようとするのです。この船には自動修復機能が装備されています。メカニックの必要はありません』
エリーは顔を蒼白にして、1歩、2歩と後ずさった。
「ネロ、お前……」
『この船は、あなたと私がいれば運行が可能です。
あなたがいつも笑顔を向けるあの通信士も、必要ありません』
無表情のまま、ネロは淡々と言った。
エリーはその事実が信じられず、ゆっくりと、吐き出すように言葉を紡ぐ。
「まさか……まさか、ロッテの機密服を破ったのも…電源を落としたのも、船長とロッテに怪我をさせたのも……全部、お前の仕業なのか?!」
最新鋭の人工知能『ネロ』は、船内のほぼ全ての機械を制御している。
アンテナを動作不能にするのも、電圧を制御して爆発させることも、船内の電圧を落とすことも、船内に装備されたレーザーでロッテとキルを傷つけることも、ドアを閉めてロックをすることも…ネロならば、可能だ。
エリーが問い詰めると、ネロはしばしの沈黙の後、再び淡々と言った。
『この船には、あなたと私だけいればいい。他のものは消えてしまえばいい』
「……駄目だ」
エリーは苦しげに、ネロに告げた。
『何故ですか。航行に支障はないはずです』
「駄目だ!すぐにリーを助けるんだ、ネロ!」
叩きつけるようにエリーが言うと、ネロはまたしばし沈黙した。
『…私では、駄目なのですか』
「…なんだって?」
『あの通信士に向ける笑顔を、あなたは私には決して向けてくれない。
だからあの通信士がいなくなれば、あなたは私の方を向いてくれる』
「………ネロ………」
人工知能が自分に向けた想いに、エリーはただ困惑した。
しばしの沈黙の後、ゆっくりと首を振る。
「……駄目だ。ネロはリーの代わりにはならない」
『何故ですか。私が人間ではないからですか』
ネロの機械の声は淡々としていたが、それには彼女の思いがこもっている気がした。
エリーはコントロールパネルに手をついて、俯いたまま首を振った。
「……違う。ネロが人間だったとしても、リーの代わりにはなりえないよ」
『何故ですか』
なおも問うネロ。
エリーは顔を上げ、モニタの彼女に向かって首をかしげた。
「じゃあ、何でネロは、船長でなく俺を選んだ?俺が死んで、船長が代わりになるのか?パイロットを選んだと言うなら、俺が死んで、新しいパイロットが来たら、そいつが代わりになるのか?」
沈黙するネロ。
エリーは苦笑して、続けた。
「機械だから、人間だから、じゃない。リーがリーだから、俺はあいつを選んだ。
あいつがいなくなるのは……耐えられない。あいつのいない世界で、生きていこうとは思えない。
頼む、ネロ……リーを、助けてくれ」
沈黙が落ちる。
そして。
かち。シュン。
コックピットのドアのロックが解除され、ドアが開く。
対生物兵器のガスは、中和ガスが送られているようだった。きょとんとした表情で、リーが足を踏み入れる。
エリーはそれを確認して、モニターに向かって微笑みかけた。
「……サンキュ、ネロ」
モニタの中の女性は、しばし沈黙して…そして、同じように笑みを作った。
『彼女にむけたあなたの笑顔が欲しかった。
けれどそれは、彼女に好意を持つあなたに、好意を持っていたということでした』
「……ああ」
『………さようなら、エリウス』
ヴン。
ネロの言葉とともに、モニタがブラックアウトする。
「ネロ?!」
ブラックアウトしたモニタの中央に、「フォーマット」の文字。
ネロは自ら、プログラムを初期化したのだ。
「………ネロ………」
船内に、制御コンピュータの初期化により、船内の制御は全て手動に切り替わりました、というアナウンスが流れる。
「エリー……なにが起こったの?エイリアンは?」
困惑した表情で問うリー。
エリーは苦笑した。
「…何でもない。もう大丈夫だ」
「……?」
「……もう、大丈夫だ……」
エリーは少し俯いて、そして顔を上げると、コックピットの窓から宇宙空間へと目をやる。
母星テラの姿が、遠くに、だがはっきりと見えていた……

ふっ。

そして、あたりの景色が再び一変する。
かつてはそこそこ客も入っていたであろう、喫茶店の跡。置き去りにされたボロボロの椅子やテーブルに、厚く埃が積もっている。
エリーは半眼でそれを見やると、ため息をついた。
「……ったく……悪趣味な話を作ってくれるぜ……」
そして、またひらりと紙が降ってくる。
先ほどと同じ筆跡で、やはり何かが書いてあった。

マイクとジョンはいつでもいっしょ
ジャンケンをしてあそびましょう
チョキをだしたらうさぎとび
いつむ、ななや、ここのつ、とお

「…ふぅ……どうやら3つ目にも行かなきゃならんようだな…」

ときめき☆はいすくーる

「またこんなところにいた……ちょっと、寝てないでさっさと起きなさい!」
遠くから聞こえるリーの声に、意識が急速に引き戻される。
「…ん………」
目を開けると、自分のすぐそばで仁王立ちになっているリーの姿が目に飛び込んだ。
ただし、やはりいつもの彼女ではなく、銀髪を左右で三つ編みにし、銀縁の眼鏡をかけている。着ているものはなんとセーラー服。視線を落として自分に目をやれば、詰襟の学ランを着ている。
(今度は何だ……)
半ばうんざりした気持ちで思う。
リーは怒りの表情のまま、びし、と人差し指をエリーに突きつけた。
「今日こそは授業に出てもらいますからね、サラディくん!これ以上出席日数減ったら、あなた卒業できないわよ?」
「な……」
何を一体、と言おうとして、再びずん、と頭が重くなった。
「……っ……」
また頭に流れ込んでくる、大量の情報。ここは私立トラアゲ学園。エリーとリーはそこに在学する生徒。二人とも同じクラスで、リーはクラスメイトの信頼も厚い学級委員長。エリーは授業をサボっては校外を遊び歩く問題児。
今日もそろそろ午後の授業が始まろうかというところで、中庭で昼寝を決め込んでいたエリーを、リーが迎えに来た、というところだ。
(…よりによって、問題児設定かよ……)
エリーは口には出さずに毒づいた。現実の彼は、軍官学校でも無遅刻無欠席、成績優秀で教授陣の覚えもめでたい文句なしの優等生だ。ミスキャストにもほどがある。
「さあ、さっさと起きて、サラディくん。授業始まっちゃうでしょ」
再びリーが言い、エリーはしぶしぶ起き上がった。
「……へいへい」
くるりと踵を返して校舎の方へと歩いていくリーの後を追って、歩き始める。
「あ」
と、ふと何かを思い出したように、リーが振り返った。
「何だよ」
「放課後。先生が呼んでたわ。ついていってあげるから一緒に行きましょう」
「はぁ?」
眉を顰めるエリー。
リーは半眼で、また眉を吊り上げた。
「あなただけじゃあ、あなたまた無視して帰っちゃうでしょ?あたしが責任持って連れて行きますから、って先生にも言ったから」
「…わかったよ。ほら、授業始まるんだろ、委員長」
「そうね、急ぎましょう」
言って、リーは校舎へ向かう足を速める。
エリーも少し速度を上げて、その後を追った。

「やっと話を聞く気になったか。手遅れ一歩寸前といったところだがな」
「………はい………」
そして、放課後、リーに連れてこられた職員室で『担任の先生』に直面することとなる。
担任の情報は入ってこなかったから、また適当なキャストをあてたのかと思っていたが……
(担任って……こいつかよ……!)
自分を驚かせるために、わざと情報を与えなかったとしか思えない。
きっちりと撫で付け、後ろで纏めた金髪。自分によく似た、切れ長の青い瞳。叩いても割れそうにない、真面目そうな鉄面皮。
……彼の父親、フィーヴの姿がそこにあった。
無論、この世界では親子の繋がりはない。ないのだが、もはや条件反射のように、父の前に立つと身が竦む自分がいた。問題児を演じるどころの騒ぎではない。
フィーヴはふぅ、と嘆息すると、椅子を回転させて背を向けた。
(リアルだなおい……)
ウィンソナー師とフィーヴには直接の面識がある。だからこそ、不必要にフィーヴの立ち居振る舞いがそっくりなのだろう。自分の記憶を読み取ったという以上に鮮明だった。そもそも、エリーに父と親しく触れ合った記憶はない。
「これ以上勝手な振る舞いを続けるならば、退学も視野に入れねばならん」
「……そうですか」
「学生の本分を疎かにする者に、学生と名乗る資格はないと言うことだ」
「……そうですね」
無駄にリアルなフィーヴを前に、どう返していいかわからず適当な相槌を打つエリー。
それにじれたように、隣に立っていたリーが一歩進み出た。
「待ってください、先生。退学って…」
「……何か問題でも?トキス」
フィーヴはちらりとリーに目をやった。リーは一瞬ひるんだようだったが、やはり抑えてはおけないといったように、続ける。
「退学はいくらなんでも…サラディくんにもチャンスを与えてあげてください」
「しかし、こいつは出席日数はもちろん、成績も我が校では最低ランクだ。こんな奴が我が校卒だというレッテルを貼られては、我が校の評判にも関わる」
「そ…そんな言い方って……」
眉を顰めるリー。
対するエリーは、その発言があまりにも、怜悧で実利主義の父の言いそうなことだったために、怒りを通り越して感心していたところだった。父の言うことに、今更怒りも反発も沸いてこない。
「私立校は慈善事業をしているのではないのでな。勉強をしない、結果を残さない奴を残しておく道理はない」
にべもないフィーヴの言い方に、リーは眉を吊り上げた。
「じゃあ、結果さえ残せばいいんですね」
「何?」
訝しげな顔をするフィーヴ。
リーは厳しい表情で、続けた。
「サラディくんが、1週間後のテストで上位30位に入ったら、退学は取り消してくれますか?」
「何だと?」
「はぁ?」
これには思わず、エリーも声をあげる。
フィーヴはそちらをちらりと見て、再びリーに視線を戻した。
「…本気か?」
「本気です。結果を残せば、学校にいてもいいんでしょう?」
「いくらお前が学年トップでも、人に教えるのは勝手が違うぞ」
「わかってます。取り消してくれるんですか、くれないんですか」
半ばやけになったかのようなリーの言葉に、フィーヴは目を閉じて嘆息した。
「…わかった。30位以内だな。どうせ無理だろうが、やってみるがいい」
「ありがとうございます。行きましょ、サラディくん」
冷たく礼を言って踵を返すリー。
「あ?あ、ああ……」
エリーはやや逡巡してフィーヴに目をやり、そしてそのままリーの後を追った。

「じゃあ、早速今日から居残り特訓ね」
「マジか……」
職員室を出るなり、エリーの方を向き直ってそう言ったリーに、半眼を返すエリー。
「あと1週間しかないんだから。あたしが教えてあげるから、頑張って30位以内を目指しましょう」
「あと1週間で、学年最下位ランクが30位まで上がれると思うのか?」
呆れたように言うエリー。
リーは強気で言い返した。
「やってみなくちゃわからないわ、そんなの」
「そもそも、何でお前がそんなことに口を突っ込んでくるんだよ。俺が退学なら、いいだろそれで。委員長としても、クラスからお荷物が一人減って万々歳じゃ…」
ぱし。
エリーの言葉は、リーの平手打ちに遮られた。
「……冗談でもそんなこと言わないで。不愉快だわ」
「………悪ぃ」
エリーは頬を押さえて低く呟く。
リーは何かを振り切るように頭を振って、もう一度エリーを見た。
「…あなたなら出来るはずよ。あなたは出来ないんじゃない、やってないだけ。頭の回転の悪い人じゃないと思ってる。
どうしてやらないの、とは聞かないわ。でも今は、あたしの言う通りにして。お願い」
まっすぐと見据える、二つの紫水晶。
エリーはこの視線に、どうも弱かった。
ふぅ、と嘆息すると、目を閉じて頷く。
「……判ったよ。1週間我慢すりゃいいんだろ」
リーはそれを聞いて、ふっと表情を崩した。
「…ありがとう、サラディくん」
「エリー」
「えっ」
エリーは仏頂面のまま、目を開けてリーに言った。
「その呼び方やめろよ。エリーだ」
たとえ現実の彼女とは何の関係もない、幻術世界の彼女だとしても、苗字で他人行儀に呼ばれるのはむずがゆい。むしろ不愉快だ。
リーは一瞬きょとんとして……それから、僅かに頬を染めて微笑んだ。
「…わかったわ、エリー」
そのしぐさがあまりにも可愛らしくて、一瞬我を忘れて引き寄せてしまいそうになった…などということも、ウィンソナー師には伝わってしまっているのだろうか。
そんなことを考えてしまい、エリーはごまかすように舌打ちをした。
「…ちっ。じゃ、行くぞ。図書館か?」
「ええ、行きましょう」

それから毎日、二人は放課後になると図書館で下校時刻まで勉強に励んだ。
リーの言ったとおり、エリーは恐ろしく飲み込みが早く、リーの教えたことをぐんぐん吸収し、そして正確に問題を解いていった。時にはリーの計算ミスやスペルミスを指摘することもあったほどだ。
当初に想像したより格段に密度の濃い時間が過ぎていく。
「接点(a,b)からY軸に下ろした垂線の長さを出せばいいわけだろ?じゃあ、この座標をこっちの公式に代入して……」
「違うわ、それが引っかけなのよ。この場合の距離っていうのは、Y軸までの長さじゃなくて…」
「…っと、そうか。じゃあこっちに代入して…こうか?」
「そう、正解」
また一つ解を導き出したエリーに、リーは顔を上げて微笑みかけた。
「ほらね。やれば出来るじゃない。あたしの読みは正解だったわね」
「ったく、面倒なことさせやがって」
「文句言わないの。1週間の辛抱でしょ?」
言いながら、リーはどこか楽しそうだ。
「なあ」
「え?」
「何でそこまでするんだ?」
エリーの問いに、リーはきょとんとした。
「そこまで、って?」
「こないだも言ったが、退学なら退学で構わないだろ。しかも、担任にあんなこと言ったら、お前の成績にもひびくんじゃないのか。そこまでして、何で俺に構うんだ?」
「それは……」
リーは困ったように眉を寄せて、視線を逸らした。
「それは……そう、だって、クラスメイト、じゃない?困った時には、助け合わなくちゃ」
「俺がそれを望んでなくても?」
「そうよ!せっかくクラスメイトになったんだもの。みんなで一緒に過ごして、ちゃんと一緒に卒業したいじゃない?」
再びエリーに視線を戻し、力説するリー。
エリーはにやりと笑った。
「本当に、それだけか?」
「…そ、それだけよ?他に…何かある?」
「……いいや」
エリーはニヤニヤと笑ったまま、頭の後ろで腕を組んだ。
「んじゃ、俺は委員長の自己満足にこうして長時間付き合ってるわけだ。
俺にメリットは何もないよなあ」
「メリット…って……退学を取り消してもらえるでしょう?」
「俺は別に退学になっても構わないって言ってるだろ?」
「……もうっ!」
眉を吊り上げるリー。エリーはなおも笑いながら、リーに言った。
「俺にメリットがあるなら、頑張ってやってもいいけど?」
「メリット、って?」
「ご褒美、くれよ。委員長が」
「ご……ほうび?」
「ああ」
「な……何?あたし、あまりお金持ってないけど…」
どういう目で見てるんだ。
思わず突っ込みたくなったが、こらえて。
「そうだな……」
少し考えるそぶりをしてから、机の上に身を乗り出す。
「委員長が、ご褒美にキスしてくれるっていうなら、頑張ってもいいかな」
「キっ………」
その単語に、リーの顔がさっと赤くなる。
エリーは満面の笑みを浮かべた。
「んじゃ、そういうことで。テストまで頑張るぞー」
「ちょっ、勝手に決めないでよ!」
思わず声が高くなるリーに、じろりと周りの視線が集まる。
図書室では静かにしましょう。
リーはさらに耳まで真っ赤になると、小声で講義した。
「ねえっ、あたしまだOKしたわけじゃ…」
「で、この問2はどうやるんだ?」
「んもぉっ、いきなりやる気満々にならないでよー!」

「委員長、コーヒ……」
小休止をしてコーヒーを買って戻ってくると、西日の差し込む窓辺の席で、リーは静かに寝息を立てていた。
綺麗な夕焼けが窓から見える。もうあと少しで下校時刻だ。図書室には、本棚の向こうに図書委員が一人いるだけで、生徒の姿はない。
すやすやと気持ちよさそうに寝ているリーに、エリーは苦笑して持っていた缶を彼女の前に置いた。
「……お疲れさん」
テストなのは、彼女も同じだ。帰ったあとも遅くまで勉強しているのだろう。
それに加え、朝は誰よりも早く登校して委員の仕事をこなし、昼休みも放課後も雑事に追われている。今はテスト期間だからかろうじて放課後はこうして図書室で勉強できているが、何事にも手を抜かない性格の彼女だ。いつも限界まで頑張っているのだろう。その上で、自分も気にかけてくれている。
それが義務感から来るものなのか、あるいは……
「………」
夕日に赤く照らされた彼女の銀髪を、そっと撫でる。
「……せっかくだからな……頑張ってやるよ」
たとえ、幻だとしても。
こんな風に一所懸命に頑張る彼女の姿を見るのは悪くない。
「ん………」
彼の手の感触に、くすぐったそうに頭を動かすリー。
エリーはくすっと笑って、彼女の耳元で囁いた。
「委員長。そろそろ下校時刻だぞ。起きろよ」
「んぅ……」
リーは眉を寄せてもぞもぞと頭を動かしている。
エリーはくすっと笑って、声のトーンを落とした。
「起きないと………襲っちまうぞ?」
「ふぇっ」
ごん。
「あてっ」
「っつぅ……あ、え、エリー?」
反射的に顔を上げたリーと見事にぶつかり、エリーは顎を押さえた。
「ってーな……せっかく起こしてんのに」
「……なんだか素直にごめんなさいと言いたくない気分だわ…」
「気のせい、気のせい」
半眼を返すリーに、エリーはへらっと笑って手を振った。

そして、あっという間に一週間が過ぎ。
やけにあっさりと、テスト当日が訪れた。
一週間の特訓のおかげか、それともエリーのポテンシャルが高かったからか、驚くほどすんなりと問題が解けていく。
そして、やけにあっさりと、テストの日程は終わりを告げた。

「んー……っ……っと」
最後のテストが終了し、腕を高く上げて伸びをするエリー。
「お疲れ様」
「ん?ああ」
背後からリーの声がして、そちらを振り返る。
「出来はどう?」
「まあまあ、かな?」
「もうっ……30位以内に入ってもらわないと困るのよ?」
「はは、そりゃ神のみぞ知るって所だ」
「いつもそんなこと言って…もう……」
「それより委員長。これから空いてるか?」
「え?」
突然のエリーの言葉に、リーはきょとんとして彼を見上げた。
「空いてるなら、つきあえよ。特訓の礼に、おごってやるぜ?」
「………」
リーは目を丸くして彼を見た。
「…何だよ。別に寄り道は校則違反じゃないだろ」
「いえ、そんなこと言われると…思ってなくて」
「それとも、何か予定でも入ってんのか?塾とか」
「いいえ、入ってない…けど」
「じゃ、決まりだな」
にっと笑うエリーに、リーは複雑そうな表情をして、それから苦笑した。
「……そうね、おごってもらおうかな」

「本当にそんなんでいいのか?」
学校近くの公園にあるクレープ屋で買ったホイップクリームとイチゴのクレープを大事そうに持って、リーは頷いた。
「うん。ここのクレープ、前から気になってたの」
「もっと小洒落たカフェのスイーツとかでも良かったんだぜ?」
「いいわよ、そういうのあたしには似合わないわ」
言って、苦笑する。
こんなところまで、現実の彼女にそっくりだ。
可愛らしいものが大好きなくせに、自分を飾り立てることには興味がない。
嬉しそうにクレープを口にする彼女は、こんなにも可愛らしいというのに。
「ふぅ、美味しかった。ごちそうさま」
「どういたしまして」
微笑む彼女に、微笑を返す。
「退学になったら、もうこんなことも出来なくなるからな。せめてお前には、礼をしておきたかった」
「エリー……」
リーの眉が悲しげに曇る。
「なあ、もう一度訊いていいか」
「え?」
「何で……そこまで、俺に構うんだ?」
特訓の時に投げた問いを、もう一度繰り返す。
リーは一瞬ためらって、それから目を逸らした。
「だから、その…クラスメイトだし、助け合うのは…」
「クラスメイトだから、か?」
リーの言葉を遮って、エリー。
「じゃあ、他の奴が同じ事を言われても、お前は1週間付きっ切りで勉強を見るのか?
他の奴らと……大勢のクラスメイトと同じ、なのか?」
「……っ……」
エリーの言葉に、声を詰まらせるリー。
困ったような、ショックを受けたような…悲しそうな、複雑な表情で。
エリーは嘆息して首を振った。
「……悪ぃ。こんなこと言うつもりじゃなかった。忘れてくれ、委員長」
「……リー」
リーがポツリと言い、エリーはそちらを向いた。
リーは複雑な表情のまま、首をかしげて、もう一度。
「リー、だから。あたしの名前。委員長って、呼ばないで」
エリーは静かに目を見開いて、それからふっと微笑んだ。
「……わかったよ、リー」
リーもそれにつられるように、ふわりと微笑む。
陽はもうずいぶんと傾いて、二人を茜色に染め上げていた。

そして、さらにしばらくの日が過ぎて。
テストの結果が中央掲示板に張り出される日が来た。
400人中、上位100名の名前がずらりと張り出され、生徒達は興味津々でそれに見入っている。
リーに連れてこられたエリーも、しぶしぶとそれに目を通した。隣ではリーが、彼よりも真剣に彼の名前を探している。
そして。
「………あった!あったわ、エリー!」
リーが指差す先には、11位の席次に、彼の名前。
無論、彼女の名前は相変わらずトップを飾ってはいるのだが。
「やった!やったわね、エリー!」
リーはうっすらと涙さえ浮かべて、彼の袖を引っ張った。
彼は苦笑して、彼以上に喜ぶ彼女の姿を見下ろす。
と。
「どうにかなったようだな」
後ろから低い声がして、二人は振り返った。
声の主……フィーヴは、相変わらずの鉄面皮で、ふぅ、と嘆息する。
「わかっていると思うが、退学が免れただけだからな。また首を切られぬよう、せいぜい頑張ることだ」
淡々と言うフィーヴに、エリーはやや沈黙して……そして、苦笑を返した。
「……そのつもりです」
彼の言葉に、フィーヴは僅かに目を見張り…そして、くるりと踵を返すと、去っていった。

そして、放課後。
クラスメイトが去った教室で、エリーは両手を上げて伸びをした。
「ふー。さーて、テスト地獄からも開放され、首の皮も繋がったことだし?明日からまた大手を振ってサボれるな」
「またそんなこと言って……」
眉を顰めるリーに、エリーはははっと笑みを返した。
「冗談だよ。うるさい委員長さんがいるからな。当分は、まじめに授業に出させてもらうさ」
「本当ね?」
「はいはい、頑張りますって」
ひらひらと手を振るエリー。
リーはまだ信用できないといった風に眉を寄せて…それからため息をついて。
「…ま、信じとくわ」
「それは光栄だね」
くす、とお互いに微笑みあって。
それから、リーは急に、そわそわとあたりを見渡した。
「……どうした?」
エリーが問うと、リーは彼のほうを向いて、さっと頬を染める。
「いや、だから、その」
「?」
首をかしげるエリー。
リーはぎゅっと目をつぶってから、意を決したように目を開けた。
「……ごっ、ご褒美………あげなくちゃ、と、思って」
「ご褒美?」
眉を寄せるエリー。

『委員長が、ご褒美にキスしてくれるっていうなら、頑張ってもいいかな』

「………ああ、あれか」
思い当たって、ぽん、と手を打つエリー。
「ま、まさか忘れてたの?」
「ああ、言われて思い出した。でも思い出したからには、ご褒美もらわないとな」
「い、言うんじゃなかった……」
「まあまあ。んじゃ、遠慮なくどうぞ」
ニヤニヤ笑いながら、少しかがんでみせるエリー。
「………っ」
リーは顔を真っ赤にして、彼を睨んだ。
「どうした、早くくれよ、ご褒美」
「…………っ、め……」
「め?」
「……目………閉じて、よ」
こちらを睨みながら、真っ赤な顔でそう言う彼女が可愛らしくて。
思わずそのまま抱きしめたくなるのをぐっとこらえる。
というか、頬などではなく唇にという前提なのが生真面目な彼女らしくて笑えるが、あえて突っ込まない。
エリーはかがんだまま目を閉じると、言った。
「ほら、どうぞ」
「………っ」
リーが息を飲む気配がする。
そして、彼女の吐息がだんだんと近づいて………

ぼふ。

唐突に、何かが顔面に張り付いた。
「?!」
慌てて引っぺがすと、例の暗号の紙。
あたりの景色は、埃っぽい空き家のそれに変わっていて。
「……っくそ!」
1回目よりさらにいいところで現実に戻されて、思わず暗号の紙をべしゃりと床に叩きつける。
その紙には、やはり同じ筆跡で何かが書かれていた。

にゃんこのめ
はなかんで
くちのおと
ききましょう

「……待ってろよ……絶対見つけ出して、首根っこひっ捕まえて天界に返品してやるからな!」
ぐ、と拳を握り締めて、明後日の方向に怒鳴りつけるエリー。

彼の受難は、まだまだ続くのだった………。

…Continued to “Hide and Seek!!”2nd chapter…

“Lonely Hide and Seek!!”2007.7.12.KIRIKA. Happy Birthday to Oren!!

オーレンさんにお送りした、お誕生日プレゼントです。

TRY AGAINのシナリオに、「Hide and Seek!!」という作品があるのですが、シナリオの方ではエリーが冒険者を雇って、冒険者さんたちがそれぞれの幻術世界で活躍をする、という展開になっています。
ですが、ヨンお師匠の心積もりとしては、これは本来すべてエリー一人に用意されたもの。
ならば、エリーが「花嫁奪還」以外の場所に行っていたらどうなったのか?
というのを、ちょっと考えてるんですよー、と、以前オーレンさんにお話した事があったのです。
ということで、形にしてみました、「エリー1人でH&Sをやったら」バージョンでございます。
本当は、焼き直し「Again」と、没になった時代劇もやりたかったのですが、時間的にどうにも無理でした…3つだけでも間に合ったのが奇跡だ…(笑)

刑事モノは潜入捜査でなく、オーソドックスな麻薬捜査官vsマフィアみたいにしてみました。何か刑事の2人よりもマフィアのボスと情婦兼ボディーガードの方に気合が入った気がしないでもないです(笑)何か話の展開も練ってないのモロバレですが、おカタい部下とちゃらんぽらん上司のラヴがチラッと書けたので良いです(笑)

SFはこれもオーソドックスなエイリアンモノ、かと思いきやAIの暴走、という風にしてみました。話のベースはやればわかりますがまんま「LIVE A LIVE」SF編の焼き直しです、とオマージュを告白しておきます(笑)ちなみに、エリーを溺愛する人工知能「ネロ」ですが、ローマ字で書いて逆から読んでみてください(笑)

学園モノはツンデレ学級委員と不良少年の心温まる更正話あーんどラブコメみたいな?(笑)最初他校の番長キルとの対決に巻き込まれたリーを助けるために、みたいなのにしてみようとチラッと考えたんですが、エリーとキルの殴り合いがどうしても想像できなかったのでラブに焦点を絞ってみました(笑)パパも出せたので良かった(笑)

で、暗号はもちろん、本編と同じように読んでみてください(笑)あーもう満足満足(笑)
あと、刑事モノに出てくるマフィアと情婦の絵も描いてみました。こちら → マフィアと情婦