「そろそろ、お茶にしませんか?」
書類にサインを終えた若い女王は、いやに上機嫌で傍らの侍従長にそう言った。
彼は残りの書類の量を確認し、あっさりと頷く。
「そうですね、もうあと少しですし。少し休憩にしましょうか」
言って、お茶とお菓子の用意をするべく部屋を辞した彼を、女王はやはり上機嫌で見送った。

そして、しばらく後。
「どうぞ」
こと。
目の前に置かれた紅茶とケーキを、女王…リリィはきょとんとして見下ろす。
「……これは?」
「お茶です」
「それは見れば判ります」
「良かったです、まだ目が悪くなる年じゃないですからね」
「ミケ」
何が言いたいか判っていながら、しれっとした顔ではぐらかす侍従長…ミケを、リリィはとがめるような目で見上げた。
「私が言っているのは、こっちのことです」
「……パティシエお手製のガトーショコラですよ。ゼゾ産のカカオを使った大変手のかかったものだそうです。紅茶に良く合いますよ」
「…………」
リリィは黙ったまましばしミケを睨みあげ、それから仕方なさそうにはあとため息をついた。
「…今日は何の日でしたか?」
「…リーヴェルの祝日ですね」
「私に何か言うことは?」
「ブルーポストのお願いでも叶えて欲しいですか?」
「………ミケ……」
リリィはもう一度ため息をつくと、今度はさも哀れそうな視線をミケに向けた。
「…今までよっぽど女性とのお付き合いに無縁な人生を送ってきたんですね…」
「うわむかつく。うるさいです、いいじゃないですか僕のことはどうでも!」
若干ムキになってミケが言い返すと、リリィはもう一度嘆息した。
「申し訳ありませんけど、下げてください」
「は?」
「ケーキはヘレンたちにあげてください。今日はガトーショコラっていう気分じゃないんで」
「な、何言って」
「パイが食べたいです」
ミケの言葉を遮るようにして、リリィは強い口調で言った。
「パイを持ってきてください」
「な、何を突然…今からパティシエにパイを作れと?」
「それは可哀想ですから、ミケさんが作れば良いと思います」
「はぁ?」
「ミケさんが作ってください」
「またあなたはそういう無茶を……」
ミケは渋い顔をしながら、それでもどうしたものかと唸った。
仕える女王であり、そして恋人でもあるこの少女が自分のことを「さん」付けで呼ぶ時は、大抵がご機嫌を損ねた時なのを知っている。その理由もおそらく彼の想像通りであろうが…
ミケは仕方なさそうにため息をひとつついた。
「…どんなものが来ても、文句言わないでくださいよ?」
「もちろん」
にこり。
機嫌が直った様子は無いが、綺麗にそう微笑んで見せるリリィ。
ミケはもう一度嘆息すると、部屋を辞した。
そして。
かちゃ。
ものの数秒で再び扉が開き、皿を持ったミケが入ってくる。
リリィはきょとんとしてそれを見やった。
「…早いですね」
「そりゃ、用意してましたから」
ミケはしれっと言って、持っていた皿をことりとリリィの前に置いた。
8分の1の大きさにカットされたパイは、白いホイップクリームの下に紅いソースが敷かれているようだった。匂いからするとラズベリーだろうか。
「ホワイトチョコクリームとラズベリーのパイです。白百合姫らしく、白いパイにしてみました」
「………」
リリィはきょとんとした表情のまま、目の前に置かれたパイを見下ろした。
ミケは少しだけ不本意そうに、それでも穏やかに彼女に言葉をかける。
「どうぞ?城お抱えのパティシエにはさすがに劣りますが、食べられないものじゃありませんから」
「……用意して、た?」
呆然と、ミケを見上げて言うリリィ。
ミケは憮然として言った。
「僕だってリーヴェルのイベントくらい知ってます」
「じゃあ、なんで最初からこれを持ってこないの?」
「……それは」
気まずそうに視線を逸らして、ごにょごにょと続ける。
「…ちょっと料理をかじった素人より、お抱えパティシエの作るケーキの方が絶対に美味しいですし。
せっかく作りましたけど、あなたにお出しするには役者不足ですから、自分で食べようかなって」
「………」
リリィは完全に言葉を失った様子で、唖然としてミケを見た。
「………なんですか、言いたいことがあるなら言えばいいじゃないですか」
「…だって………」
それ以上言葉が続かないというようにたっぷり絶句してから。
「……っ、は、あはは、あははは!」
それはそれは可笑しそうに、声を出して笑い始めた。
「なっ……わ、笑うことないでしょう!」
「だ、だって、おっかしい、あははは!」
リリィはひとしきり爆笑してから、目じりの涙を拭って、再びミケを見上げた。
「だって、ミケ?」
「…なんですか」
「あなたなら、うちのパティシエが作ったクッキーと私の手作りのクッキー、どっちを食べたいと思う?」
「そりゃあ、あなたが作ったものに決まってます」
即答してから、う、と苦い表情を作るミケ。
リリィは嬉しそうににこりと微笑んだ。
「ね?同じことよ。私は美味しいケーキが食べたいんじゃないの。あなたが作ったパイが食べたいのよ」
「……よーくわかりました」
「リーヴェルの祝日なのに、あなたからパイがもらえないと思って、とてもショックだったのよ?」
「…すみませんでした」
「こんなこと、女の子に言わせるものじゃないわ?女性との付き合いに無縁だったからしょうがないけれど」
「だからっ、いいじゃないですかそれはもう!」
最後にはキレ気味に言い返すミケをよそに、リリィはホクホク顔で再びパイに向き合った。
「ま、あんまり女慣れされてても困るけど。じゃ、いただきますねー」
フォークで丁寧にパイを切って、口に入れる。
それから、いかにも幸せそうに相貌を崩して、空いている方の手を頬にあてた。
「美味しい」
「…それは、よかったです」
その様子に一瞬ぐらりとなりながら、どうにか平静を装ってコメントするミケ。
リリィはもう一度パイにフォークを入れると、にこりとミケに向かって微笑んだ。
「あなたも、食べる?」
「………では」
ミケは苦笑して身をかがめて。

「僕は、こちらをいただきましょうか」

そして、ほんのりとラズベリーの香るもうひとつの『白百合』を、ゆっくりと味わうのだった。

“Not enough” 2011.2.14.Nagi Kirikawa

ということで、相川さんへのリーヴェル話のお礼として書きました。本物のプレゼントにはまだ気付いてなかったんですけど(笑)
まあ、スタンダードというか、テンプレというか(笑)そんな話です(笑)ミケさんはここでも女性づきあいに縁が無い草食系男子ですな(笑)
「役者不足」という言葉は、ちょっと調べたら最近になってネットで広まった造語なのですってね。「役不足」という言葉は「確信犯」同様、ほとんどの人に全く正反対の意味で認識されてるパターンで、それに対して「それを言うなら『役者不足』だね」という感じで生まれてきた言葉なのだとか。
じゃあもともとはどういう言葉なのかと言われると、「力不足」が一番相応しいようで、でも力不足っていうのもなあ(笑)と思って、「役者不足」を使わせてもらいました。
どーでもいいですかね(笑)