「うーん、やっぱり上手く行きませんねえ」
肩を落とし眉を顰めた…彼女にしては珍しい表情で、リリィはそう呟いた。
「そうだねー、この術って何か相性があるみたいだし」
こちらはさして困った顔はしていないが、やはり珍しい顔ぶれ。彼女が仕える主人が、これまた珍しく毛嫌いしているため(毛嫌いしているのは何も主人だけではなさそうだが)めったにここに来ることはない人物だ。
「カーリィ様は、どうやってこの術を身につけられたんです?」
リリィが訊ねると、カーリィはへらっと笑って首を傾げた。
「そりゃあ、今ユリちゃんに教えたのとおんなじ感じで覚えたんだよ?
僕は使えて、君は使えなかった。それだけのことだねえ。適性の問題でしょ」
「そうなんですかぁ……あーあ、じゃあ私に覚えるのは無理なのかしら」
「そっかもねぇ」
「どこが違うんでしょ?私とカーリィ様」
「んー、単純に魔力のキャパの問題かもしれないし……あとは性質とか?」
「性質?」
「ユリちゃんも二次元萌えしてみるとか。フィギュア作るなら教えるよー?」
「すみませんそれは全力で遠慮します」
「そーおー?楽しいよー?」
「私は三次元の方が好きなので」
硬い笑顔で釘を刺してから、リリィはもう一度ため息をついた。
「あーあ、この術使えたら楽しそうだなーと思ったのに」
「あはは、それじゃ初心に帰ってみたら?」
「初心に?」
きょとんとするリリィ。カーリィは笑顔で頷いた。
「うん。僕もホントはこんな小手先の術じゃなくて、王道で行きたかったんだけどさあ、世の中そんなに上手くは行かないじゃん?だから術で間に合わせたんだけど。でももともとは、術なんかじゃなかったんだよね。偶然なんだけど、そういう現象が起こっちゃったもんだから。それを偶然じゃなくて確実に起こすために術を組んだんであって。術がなくても起こる可能性はあるわけさ。
上手く行くかどうかわかんないけど、試してみる価値はあるんじゃない?」
「なるほど」
一理ある、という表情で頷くリリィ。
「で、どうやってやるんですか?」
「えっとねー……」

「というわけなんです」
「全然わかりません」
こちらは、珍しくもなんともない、いつものやり取り。
満面の笑顔で説明になっていない説明をするリリィと、沈痛な面持ちでツッコミを入れるミケ。
「ですから、王道を試してみろって言われたんですよ」
「ですから、何でそれで僕がこんなところに連れてこられなくちゃいけないのかがわかりません」
こんなところ、とは、ヴィーダ中央にあるミドルヴァース信仰の教会。10段ほどの階段を上った先にある荘厳な建物は、信者はもちろん、観光目的でも多くの人が訪れる。
とはいえ、平日の朝。まだ教会は開いておらず、訪れる人もいないこの場所に、いつものことながら唐突に連れて来られたのだ。ミケの機嫌はよろしいはずもない。もっとも、彼女を目の前にすると彼はいつもこの表情をするのだが。
「カーリィ様のお話だと、こういうのには王道のシチュエーションがあるらしくて」
「はあ」
もはや「こういうの」の説明をする気は全くないらしい。カーリィというのが誰なのかもわからない。適当に流そうと相槌を打ったミケの耳に、聞き流せない言葉が続いて飛び込んできた。
「神社の階段を二人で転げ落ちればいいらしいんですね」
「はあっ?!」
あまりに予想外の言葉に、思わず声が裏返る。
「だから、神社の階段を」
「言葉の説明を求めてるんじゃないんですけど!ていうか、何ですか神社って!」
「ナノクニの教会なんだそうです」
「ここはフェアルーフです!」
「だからミドルヴァース教会で妥協してるんじゃないですか」
「意味がわかりません!」
「ですから、この階段を二人で転げ落ちればいいらしいんですよ」
「死ぬじゃないですか!」
「やだなあこの程度じゃ死にませんって。少なくとも私は」
「僕が死んだらどうしてくれるんです!あなたより体力ないんですよ?!」
「2か3かの違いじゃないですか」
「そういうところをさらりとぶっちゃけないように」
「まあまあ、コメディで人は死にませんよ」
「そういうぶっちゃけ方も……ってうわあぁぁぁっ!!」
ミケがツッコみ終えるのを待たずに、リリィはミケの袖を取って引き寄せた。
急なことにバランスを崩したミケが、リリィの方に倒れ掛かる。
リリィはそれを避けようともせずに、ミケと共に階段の方へと倒れていった。

「………っ……たたたた……」
ずきずきと痛む身体を押さえて、立ち上がる。
いつものことだが、頭が真っ白で何も考えられない。判断力が鈍っている。
ここがどこなのか、どちらが上でどちらが下なのか、頭がぐらぐらしてそれすらもわからない。
だから、今出した自分の声が、いつもと違う高く澄んだ声だということにも、特に疑問は沸かなかった。
「……あれ。上手く行くもんですねえ」
聞こえてきたのは、自分の声。
しかし、自分はそんな言葉を発していない。
ようやく意識がはっきりしてきたミケは、頭を押さえながら声のした方を見やった。
「……え」
「またまたご冗談を、と思ったんですけど。王道っていうのもバカにできないんですねぇ」
と、けろりとした顔で言ったのは、紛れもないミケ。
しかし、自分は確かにここにいて。
一瞬、状況を理解できずに固まる。
と、ミケ(の姿をした何か)は眉を顰めて肩を押さえた。
「にしても、思ったより痛いですねえ。これ、本気で身体鍛えた方がいいんじゃないですかミケさん」
暢気な口調に、ひょっとして自分の方がおかしいのかとすら感じるが。
ようやく事態の判断がついたミケは、ばっと自分の姿を見下ろした。
「……っ!」
目に飛び込んできたのは、いつもの見慣れた黒いローブではなく、別の意味で見慣れてしまった桜色のローブ。袖が長すぎて指先が見えない。階段から転げ落ちてきたからだろう、亜麻色の長い髪が石畳の上に広がっている。
「…………な」
ミケは顔面を蒼白にして、力いっぱい叫んだ。

「なにこれーーーーー?!」

辺りに響いたのは、高く澄んだ、紛れもないリリィの声。
ミケは傍らにいた自分(の姿をした何か)の胸倉を掴むとぐいと引き寄せた。
「な、な、なんなんですかこれ?!何がどうなってるんです?!」
「あはははミケさん落ち着いてくださいよー」
暢気に笑う自分の口から紡ぎだされたのは、声こそ自分のものであるが、明らかにリリィのもので。
「これが落ち着いていられますか!な、な、なんで僕が、あなたの」
「だから揺さぶんないで下さいって。慌てても事態は変わりませんよ?」
「暢気にしてても事態は変わりません!ていうか、何なんですか!今度は何をしたんですかあなた!」
いつものやり取りなのだが、言葉を発している人物が全く逆なことに激しく違和感がある。
ミケ(の姿をした何か)はがくがく揺すぶられながらこともなげに微笑んだ。
「何をしたかと言われれば、私は何もしてないと思うんですけど」
「うわ、人を階段から転げ落としといてどんだけ」
「でも、何が起こったかは説明できると思いますよ?」
ぴ、と指を一本立てて。
それは、ミケとて説明されずともだいたいの予想はつく。
……激しく認めたくはないのだが。

「入れ替わっちゃったみたいですね。私とミケさん」

がくり。
言葉にされて改めてのしかかってきた現実に、全身の力が抜ける。
「な……なんなんですか、もぉ……」
しかし、途方にくれたように発された声は、間違いなくリリィのもので。
ミケは何だか泣きたくなった。

「最初は術を覚えたかったんですよ。だからカーリィ様にお願いしたんです」
とりあえず、階段から転げ落ちたまま意味不明な問答をしている男女に見物客が集まり始めていたので、ミケの取っていた宿に場所を移してみた。
リリィ(inミケ)は勝手知ったる様子で適当にお茶を入れ、二人分をテーブルに並べる。ミケ(inリリィ)は人の部屋で勝手に何を、と思わないでもなかったが、今はそれよりも重要な話があったので黙って飲んだ。
「だから、誰なんですか、カーリィさんって」
「あれ、ご存じなかったですか?チャカ様のお兄様です」
「…お兄さんがいるんですか」
「ええ、お兄様が5人とお姉様が3人いらっしゃいます。エリス様のお父様は一番上のお兄様ですね。カーリィ様は一番下のお兄様です」
「……子沢山なんですね」
「理由は想像つくでしょう?」
「……ええまあ」
ロッテを見れば、だいたいのことは。
リリィはそれ自体はどうでもいいのか、話を戻して続けた。
「で、そのカーリィ様にお願いして、術を教えていただいたんですよ」
「術って、何の」
「自分と相手の精神を交換する術です」
「なっ……」
ミケは一瞬言葉を失った。
「…っ、あなた、それを使って…」
「だから、覚えたかった、って言ったじゃないですか」
リリィは嘆息して、茶を一口。
「え……」
「覚えられなかったんです。カーリィ様の仰ったとおりにやってみたんですけど、私には使えないみたいでした」
微妙に悔しそうに言うリリィ。見た目はミケなのだが。
「そう……なんですか」
ミケは拍子抜けしたように言った。この人でもそんなことがあるのか、と純粋に思う。彼にとって彼女は、越えたくても越えられない壁であったから。
しかし、その彼女も、越えられない壁の前に苦悩することもあるのだと。当の本人の身体に心を宿しながら、不思議な感慨に浸るミケ。
と、不意にミケははっとして身を乗り出した。
「…じゃあ、なんで僕たちが入れ替わってるんですか。あなた、その術が使えなかったんでしょう?」
「ええ。使えたらよかったのになー、って言ったら、カーリィ様が、じゃあ初心に帰ってみたら?って仰ったんです」
「初心に?」
図らずも、リリィと同じように問い返すミケ。
リリィは頷いた。
「はい。もともと、偶然でこういう現象が起こって、カーリィ様はその偶然を必然にするためにこの術を組み上げたらしいんですね。でも、その現象が起こった状態を再現させれば、偶然同じようなことが起こるかもしれない。術が使えないのなら、一か八かその方法を試してみたらどうか、と仰ったんです」
「その、方法というのが……」
「はい。神社の階段を二人で落ちる、って仰って。それがパターンだから、って」
はあああぁぁぁ。
ミケは深い深いため息をついた。
「そんなことを言い出すその人もその人ですが、実践するあなたもあなたですよね……」
「いやほら、でも」
リリィ(入れ物はミケだが)は相変わらずの笑顔だ。
「プレゼントも、だんだんネタが尽きてきますし。ここはひとつ、奇抜なものでびっくりさせたいじゃないですか」
「……プレゼント?」
眉を顰めるミケ(入れ物は以下略)。
リリィは頷いた。
「はい。ミケさん、お誕生日おめでとうございます」
唐突な言葉に、一瞬思考が停止する。
「お、誕生、日」
「はい。今日でしたよね?」
「……そういえば」
朝起きて食事をしようかという時に唐突に連れて来られたので、今日が何日かということもすっかり失念してしまっていた。そういえば、今日はミケの誕生日だ。
リリィはニコニコしたまま、言葉を続けた。
「誕生日プレゼントに、私の身体をあげちゃいますね。きゃっ、私ってばだいたーん☆」
「頼むから僕の口でそういうこと言わないで下さい!」
「えー、ミケさん嬉しくないんですか?」
「心底嬉しくありません!だいたい、人を階段の上から転げ落としておいてお誕生日プレゼントとか!」
「そこはほら、私も一緒に落ちたんですし」
「だいたい、あなたの身体をもらってどうしろと言うんです僕に」
「いや、面白いかなと思って」
「面白いのは確実にあなただけでしょう!」
「あは、バレました?」
「あなたという人はー!」
いつもと逆の声で行われる、いつもと同じやり取り。楽しそうで余裕げなミケの声と、イライラした様子のリリィの声は、確かに普段ありえないだけに新鮮だ。
「とにかく!びっくりしたし嬉しくないので早く元に戻してくださいよ!」
「えー、もう少しこのままでいましょうよー。せっかくなんですし」
「嫌です!早く僕の身体を返してください!」
「でもー、さっき言ったじゃないですか。コレって術じゃないんですよ。だから、私の力じゃ戻せないんです」
「なっ……」
絶句するミケ。
「じゃ……じゃあ、まさかずっとこのまま……」
「なわけないじゃないですか。次の日目が覚めたら元に戻ってますよ。ってカーリィ様も仰ってました。それがパターンなんですって。よくわかりませんけど」
「そ、そうですか……」
ほっと胸を撫で下ろすミケ。いや、それで納得するのもどうかと思うんですが。
が、その後また盛大に眉を顰める。
「じゃあ、今日1日このままってことですか?」
「そうなりますねえ」
にこりと笑って、リリィ。
「まあまあ、ここは一つ諦めて楽しみましょうよ。こんな機会めったにないんですし」
「めったにあってたまりますか、こんなこと……」
がく、とテーブルに突っ伏すミケ。
もそ、と動くたびに長い袖がテーブルの上に広がる。
ミケは顔を上げてそれを見、それから眉を顰めてリリィの方を見た。
「……いつも思ってましたけど、あなたこんな服着てて動きにくくないんですか」
「慣れるものですよ。動きにくいですか?」
「歩くたびに裾を踏みそうで、何か物取るにも袖を捲り上げなくちゃいけないのが面倒です」
「んー可愛いのに。じゃあ、着替えますか?」
「言いながらいきなり服を脱ごうとしないで下さい誰の身体だと思ってるんですか!」
襟のボタンを外し始めたリリィを慌てて止める。
リリィは平然と答えた。
「いいじゃないですか、いつも見慣れてるんだし」
「だからそういうことを昼間から口にするなと」
「夜ならいいんですか?」
「そういうことじゃなくてですね!」
「いいじゃないですか、私もいつも着慣れてる服のほうが動きやすいし。服交換しちゃえば」
「交換……」
想像してみる。
リリィの服を着たミケと、ミケの服を着たリリィ。
「…………えー……」
「何ですかその不満顔」
「いえ、なんか意外に似合いそうなのが腹立たしくて」
「どういう意味です」
「それに、あなたの服はサイズ調整がある程度きくにしても、僕のは明らかに背が足りないでしょう。だぶだぶになっちゃいますよ」
「いいじゃないですか、だぶだぶは結構萌えですよ?」
「いやいや。動きにくいって言ってるのに本末転倒じゃないですか」
「ああ、それもそうですねえ」
リリィは肩を竦めてしばし考え……それから、再びにこりと微笑んだ。
「じゃあ、買いに行きましょう、服」
「え」
「私がお金出しますから。ね、決まり!早速行きましょう」
「え、ちょっ、待ちなさ」
止める間もあらばこそ。
リリィは上機嫌でミケの腕を取ると、そのまま部屋の出口へと向かった。

「…………」
フィッティングルームでもそもそと着替えながら、ミケは微妙な気持ちで鏡に映る姿を見つめた。
映っているのは紛れもなく、彼の天敵である少女の姿。いつもの余裕げな笑みではなく、眉根に縦皺をいくつも刻んだ表情なのが新鮮と言えば新鮮だが、やはり複雑だ。
「ミケさーん、まだですかー?」
外から聞こえてくるのは、自分の声。発しているのは当然自分ではない。
ミケは仏頂面のまま、外に返事を返した。
「もう少し待ちなさい、あなたの服は脱ぎにくいんです」
「そんなこと言ってー、私の裸に見とれちゃってるんじゃないんですか?」
「見とれるほど起伏に富んではいないと思いますが」
「ミケさん、今私の身体で命拾いしましたね」
いつものやりとりをしながら、淡々とリリィが選んだ服に袖を通す。
元のミケの服に近い、黒のジャケットとパンツ。ただしやや丈が短く、ボーイッシュな女性用といった雰囲気だ。マントも丈の短いものを選んである。
着終えて、もう一度鏡を見る。似合わないことはないが、やはりこの身体にはあの桜色のローブが一番似合うのではないかと思った。しかし動きにくいものは仕方がない。ミケは嘆息すると、カーテンを引いて外に出た。
「おっ、なかなか似合うじゃないですかー。そういうのも良いですね、私」
座っていたリリィが、立ち上がって微笑む。
そう言う彼女はすでに着替えていた。
いつも彼女が身に纏っているローブを男性版にしたような、リュウアン風の桜色のローブ。無論スカートでなくパンツスタイルだ。いつもと違う自分の装いに、やはり複雑な気持ちになる。
「……女性用を着られるかと思いましたよ」
「いやー、せっかくミケさんの身体なんですし。こういうのもいいかな、と思って。
ミケさんが中にいるなら、女の子の服を着せたいですけど」
「…どう違うんですか」
「女の子の服着て嫌がるミケさんが良いんじゃないですかー」
「うわ臆面もなく言い切った」
「さ、もう会計済んでますし。行きましょうミケさん」
「行くってどこへ」
「デートですよデート。決まってるじゃないですか」
「は?!」
「せっかく服買ったんですし。男が女の子に服買う理由なんてひとつでしょ?それを脱がすためですよ」
「ちょっ、まるで僕が服買ったみたいに聞こえるじゃないですか!」
「今の私は誰がどう見てもミケさんですよ」
「確かにそ……っ、ちょっと待ってください、こんなところで僕があなたに服買ってるのを知り合いに見られたら…!」
「ああ、あの二人デキちゃったんだなと思うでしょうねえ」
「~~~っ!そんな風に思われるくらいなら今すぐこの身体のまま死んでやるー!」
「何するんですか人の身体。それにもう遅いですよ、二人でここまで来た時点でアウトです」
上機嫌で笑う自分の顔。最初は違和感があったが、もう慣れてきて殺意すら沸いてくる。
「さあミケさん、諦めてデートしま」

どぉん!

ミケの手を引こうとリリィが手を伸ばした瞬間、表通りで派手な音がした。
二人はきょとんとして顔を見合わせ、それから慌てて外に出た。

がしゃん。がらがらがら。
派手に物が壊され、散らばる音。逃げ惑う人々の悲鳴。
その騒音の中心に、3メートルほどの巨大な猛獣の姿が見えた。
「な、なんですかあれ」
「魔物……じゃないみたいですね。キメラでしょうか。普通の動物とも造作が違いますし」
動揺するミケに、けろりとして答えるリリィ。
「いや、そういうことを聞いてるんじゃなくてですね」
「あっ、すいません。何があったんですか?」
言い返すミケを無視して、リリィは向こうの方から逃げてくる男性を一人捕まえ、訊ねた。
「何って、広場にいた見世物小屋の猛獣が逃げ出して暴れてんだよ!自警団や魔術師ギルドに誰かが行ったらしいが、来る前に殺られちゃシャレんなんねーぜ!あんた達も早く逃げな!」
言うが早いか、男はわたわたと駆けていった。
「…だ、そうです。どうします?ミケさん」
振り向いて、笑顔で問うリリィ。
「どうするも何も無いでしょう、行きますよ!」
「うーん、このままじゃデートになりそうにないですしねえ」
「……まさかとは思いますが、あなた」
「やだなーミケさん、私がミケさんとのデートの邪魔になるようなこと、するわけないでしょう?」
「……まあ、信じますけど」
仏頂面で答えてから、ミケはさっそく駆け出した。
「あん、待ってくださいよー」
リリィも楽しそうにその後に続く。
人が逃げてくる方向を逆走するように駆けていけば、すぐにその現場に行き当たった。
大通りの先、中央公園の入り口で、火がついたように暴れている異形の猛獣の姿。
見世物小屋の持ち主と思しき男女が懸命に宥めようとしているが、全く収まる気配はなかった。
「大丈夫ですか?!」
ミケが駆け寄ると、額から血を流した女性が申し訳なさそうにそちらを向く。
「す、すみません、今、なんとか」
「なんともなりませんよ!ここは僕たちがどうにかしますから、あなたたちは早く逃げてください!」
「で、でも」
と。
「空と大地を駆け行く風よ、優しき衣でかの者の傷を癒せ」
呪文と共に優しいオーラが女性を包み、その傷がすうと消えていく。
驚いて振り返れば、こちらに手をかざしているリリィの姿。
にこりと微笑むと、女性に向かって言う。
「大丈夫ですよ。さ、これ以上怪我しないうちに早く逃げてください」
「は……はい!」
魔法を使ったことで安心したのか、女性は力強く頷くと仲間に声をかけて共にその場を離れた。
「…何のつもりですか」
それを見送ってから、リリィを睨んで言うミケ。
「えー、だって早く終わらせてミケさんとデートしたいですし」
「…何で、僕の術を」
その言葉は意外だったのか、きょとんとするリリィ。
「え。だって、これミケさんの身体ですし。ミケさんの方法でしか魔法は使えませんよ」
「そうじゃなくて!」
じれったげに、ミケは首を振った。
「どこで、僕の術を覚えたんです」
「そりゃあ」
リリィはもう一度、ふわりと微笑んだ。
「…ずっと、見てますから」
「………っ」
ミケは僅かに頬を染めて、言葉を詰まらせた。
リリィはなおもニコニコと微笑みながら、す、と構えを取る。
その視線の先では、見世物小屋の人間がいなくなったからか、手近な二人にターゲットを合わせたらしい猛獣が戦闘態勢に入っていた。
「ミケさんも、その身体だと私の術しか使えませんけど。…使えますよね?」
「……っ……」
ミケは構えを取ると、人差し指で空に文字を書いた。
「麗・火」
ごう。
魔術文字から、炎が奔流となって猛獣へと向かっていく。
リリィはその様子に、満足したように微笑んだ。
「………っ」
対するミケは、それに反比例するような仏頂面のままだ。
まったく、腹立たしいほどの魔力。使ってみて改めて判る、彼女の実力が。
正直に、妬ましくて。
「ほらほら何やってるんですか、さっさとやっちゃいましょう」
リリィは楽しそうに声をかけると、猛獣に向かって手をかざした。
「リリィさんと僕のデートを邪魔した罪は重いですよ!覚悟してください!」
「だあぁぁあから僕の口でそういうこと言うなっつってんでしょうがー!!」
心底楽しそうに口上を述べるリリィに全力でツッコみながら、ミケも次の魔術文字を書きはじめた。

「あー………づがれだ……」
宿に戻るなりベッドに転がって、ミケは絞り出すような声を出した。
当然まだ身体は入れ替わったままなので、リリィの身体なのだが。
「そうですねえ、結局デートできませんでしたし。残念」
こちらは本当に残念そうに、リリィ。
あの後、猛獣は割と簡単に退治出来たのだが、その後の片付けだの自警団の取調べだので結局自由になったのは日がとっぷりと暮れた後だったのだ。
疲れもあってもうそれ以上何もする気にもなれず、結局二人は宿に戻ってきた。
ぐったりとベッドに横たわるミケの傍らに、リリィが腰掛ける。
「でも、夜はこれからですよね」
「………」
うんざりした表情でそちらを見上げれば、にこにこと楽しそうな自分の顔。
「昼間も言ったじゃないですか、男が女の子に服を買う理由はひとつしかないって」
「…今、あなたの目の前にいるのは、あなた自身ですよ?」
言っても無駄そうな気がするが、とりあえず抗議してみる。
「でも、中身はミケさんですし」
無駄だった。
「…僕も、自分に襲われるのは抵抗があるんですが」
それでも、何とか抵抗を試みる。
「でも、中身は私ですから」
やっぱり無駄だった。
「自分を抱いて楽しいですか?酔狂にもほどがありますよ…」
「そんなこと言わないで。こんな機会、二度とないですよ?」
「一度もなくていいです…」
疲れたような表情で言ってから。
まな板の上の鯉のような心境で、ため息をつく。

「………も、好きにしてください………」
「はい、好きにします」

リリィはにっこりと微笑んで、ミケの頬をそっと撫でた。

ちゅん。
ちゅんちゅん。
いつもの鳥の声が、朝であることを告げる。
「ん……」
朦朧とした意識がゆったりと引き戻され、ミケは目をこすりながら起き上がった。
「あ……れ」
ぼんやりした頭で、なんとなく自分の手を見てみる。続いて身体、ベッドの上。
細くはあるが確かに男性の手足。シーツの上に広がる、栗色の髪。
いつもの、自分の身体。
「……夢………だった…?」
正直、あまりに奇抜すぎて夢であって欲しい。
が。
不意に、視界の端に止まった桜色。
慌ててそちらに顔を向ければ、テーブルの上に丁寧に服がたたんであった。
昨日……リリィが服屋で買って、そのまま着ていたローブ。
それが、昨日の出来事が夢でなかったことを、まざまざと物語る。
ミケが着ていた服は、彼女が持ってかえったのだろうか。置いていかれても、着ることは出来ないのだが。
「…………」
ミケはまた仏頂面に戻ると、立ち上がってテーブルの上の服をわし、と掴んだ。
「…………」
捨てたい。
昨日の記憶ごと、葬り去ってしまいたい。
が。
「…………はぁ」
ミケはため息をついて、服から手を離した。

二度と袖を通すことはないのだろうが。
きっと、自分はこれを捨てられずにずっと取っておくのだろう。

そんな予想が容易に出来てしまう自分が腹立たしくて。
ミケはもう一度、深い深いため息をつくのだった。

…Happy Birthday to Mike!

“I’m you and you’re I”2007.10.4.Nagi Kirikawa. Happy Birthday to Izumi Aikawa!

相川さんのお誕生日にお送りしました。
えーと(笑)王道シチュエーションで何か、と考えてたんですよ(笑)で、これにするか学園モノにするかで迷って(笑)で、学園モノがまとまらなかったのでこれにしました。これにしてよかったです(笑)いつものごとく、ノリノリで書いてしまいました(笑)もうちょっと、ミケさんの体でいろいろ暴挙に出るリリィが書きたかったんですが、ぐだぐだの予感がしたので割愛(笑)

どうでもいい話ですが、学園モノとどっちにしようか迷った、と相川さんに言ったら「生徒にからかわれ同僚にこき使われ、酔っ払って派出所で『理事長ごめんなさい』とか『インクが出ない』とか言っちゃうんですね」と言われました(笑)わかる人だけ笑ってください(笑)

そして、いつもの如くちょっぱやでお礼が届きました(笑)ありがとうございました(笑) → 小話 ~ あなたのことならわかる ~

あと、せっかくですので変わった装いの2人を描いてみました(笑)置いていきます(笑)