鳴らされたベルは2度。それも、ちりん、ではなく。
最初に音は床にでも落ちたのだろうかと思うような音だった。続いて聞こえたのは、呼んでいると言うよりも叫んでいるような、ベルの音。
なんだろうと思いながら、急ぎ上着を羽織って駆けつけ、扉をノックして開ける。
「女王陛下?何が……」
「……あ」
天蓋の中で小さくなって震えている少女に、気がついた。その手にはベルが握りしめられている。
「……何が、ありました?」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい、ミケ。寝ていたところを、起こしちゃって」
今は何時だとか。
女王の寝室に勝手にはいるのは、とか。
全部横に置いて、駆け寄る。そうしてベッドの上でシーツを抱きしめて座っている少女を、抱き寄せる。本当はこんなところに乗って良いはずはないけれど、後先考えずに一番大事なことを。
「ミ……」
「大丈夫。大丈夫だから」
震えているのが分かって、少し強めに抱きしめてから背を撫でてやる。
「まだ起きていたから、そんなこと、心配しなくていいんです」
「ミケ」
「はい」
きゅう、と縋り付かれてどうしたらいいのか困る。撫でる手はそのまま続けて、大丈夫だと繰り返す。それが正しいのかどうかも分からないまま。
「ごめんなさい、ミケ。もう、大丈夫です」
「……どうしました?」
離そうとした少女を、逃がさない。今、手を離したら、きっといつもの笑顔の裏に隠してしまうのが分かったから。
「……ちょっと、怖い夢を……見ただけです。だから大丈夫」
「どんな?」
「……ミケさん。こんな時間にベッドで抱き合っているなんて、誤解を招きますよー?それともそんな気分なんですか?きゃ、ミケさんのエッチv」
「そのときは僕の首が飛べば済むだけの話です。それより、あなたの方が心配なので、離しません」
「…………あなたは、あのときもそうでしたね。泣き顔を見られたくないから帰そうとしたのに、聞いてくれなかった」
「……そうですね。だって、今も泣いてるじゃありませんか」
見られたくないだろうと抱きすくめた腕の中。僅かに震えている肩。押し殺してもしゃくり上げて揺れる背。
「でも、あのときと違って、あなたは僕を呼んでくれたから。1人で抱え込む前に僕に頼ってくれたから。……だから、1人で我慢しなくていいんです。泣いて、不安だって言ってくれたらいいんです」
ここに、いますよ?
そう囁いて、腕に力を込める。ふる、と一つ腕の中で少女が震えて、そして痛いほどに腕が捕まれる。
「怖い、夢を……見たの。あなたが、助けに来ない夢を。わたくしを、皆が突き飛ばして、魔物に浚われて、それで」
悲鳴を上げて、飛び起きて。……ベルを掴んだ。そのとき助けてくれた人を呼ぶために。
「どこにも、あなたはいなかった……。あなたの名前を呼ぼうとするのに、声にならなくて。怖くて、嫌で」
駆け込んできた姿を見たとき、全部夢だったと証明されたはずなのに、心の中がちっとも払拭されない。抱きしめられて、大丈夫だと何度も繰り返されて、やっと夢だったのだと頭で理解した。なのに、どこか皮膚の下でざらざらした不快な何かが這う感触は抜けない。
「もっと。もっとしっかり抱きしめて欲しいの。あんなの、夢だって教えて欲しいの」
言われるままに、痛くないか少し心配になるほど強く抱きしめる。そんなの、夢だと笑い飛ばせたらいいのに、ミケ自身も奇妙な不安を感じる。……今、そんなことは間違っても言えないけれど。
「大丈夫。僕はここにいる。あなたを魔物に渡したりしない。ちゃんと、守るから」
「そう、ですよね。必ず、あなたなら、やってくれるもの」
身じろぎした少女を抱きしめる腕を少し緩めると、彼女はそっと顔を上げた。その頬は少し濡れているけれど、瞳にはもう雫はない。にっこりと微笑んだ彼女の頬を、そっと拭った。
「お許しがあれば、もう少し手とか繋いでいてあげますから。寝ましょうか?」
「ミケ」
ほんの少しリリィは言いよどむ。
「一緒に、寝て欲しいって言ったら、怒る?」
「怒らないですが、…………不敬罪で首を切られそうになったら止めてくださいね?」
ほんの少しこちらを伺うような顔をされると、普段そんなことをしないだけに、困るとは言えなかった。
「じゃあ、来て?」
言われるままに、滑り込んだ寝台はふかふかで。ちょっと驚いた。リリィはそっと枕を寄せて、ちょっと考えた後、腕を引く。
「腕枕が良いですv」
「……ハネムーン症候群にならないように祈ってくださいね?」
苦笑しながら腕の中へ少女を引き込む。その感触に。
「…………」
「ミケ?」
「大丈夫ですから、早く、寝てください」
「…………」
くす、と腕の中で笑う気配がして。
「怖くて眠れないから、寝なくてもいいんですけれど?」
「寝なさい、いいから」
「うふふ、照れなくても良いんですよー?ちょっと、どきどきしてるでしょう?」
腕の中。抱きしめた少女には心臓の音まではごまかせない。
「していないわけがないでしょう。僕が怖い思いをした訳じゃないし、あなたは可愛いことをし出すし、役得ですよ、ええ」
半ばやけのように言えば、少女はそっと顔を上げる。そしてにや、と笑った。
「寝てしまっても、いいの?」
「寝なさいと言っています。あなたは守るから大丈夫ですからっ。うなされていたら起こしますし」
「夢も見ないほど、疲れさせてくれてもいいのに?」
罪もないような可愛らしい微笑みを浮かべて、胸に縋る。
「…………さっきまで怖い夢を見て泣いていた人に、無体な真似はしたくないですけれど?」
「…………女の子にそこまでいわせておいて、逃げますか……?」
「つけ込んでまで、したくありませんっ!」
「据え膳ですよ!食べるのが義務ではないんですかっ!」
「そのおかしな知識はどこから入手したんですかっ!」
むぅ、と頬を膨らませたリリィと、お説教を始めるミケと。
それでも、腕枕も腕の中の少女もそのまま。
「いいです、もぉ知りませんっ!おやすみなさいっ」
「お休みなさいっ!」

……翌朝、侍従長が「腕が痛い……」と眠そうな顔で呻いていたという。
対して女王陛下はすっきり良く眠れたようだったとか。


後書き9
鳴っただけであって、読んだ訳じゃないのかも知れないなーから。
ハネムーン症候群は実際にある話なので、お気を付けください。