「…い、行きます」
「お前さっきからそれ3回目だぞ」

目の前で顔を真っ赤にして自分を見つめる恋人に、軽口をたたきつつも頬が上がってしまうのを抑えられない。
握りしめられた手がそろそろ痛くなってきたことを感じながら、ティレルはこうなったいきさつを思い返していた。

「いつもティレル様に何でもしてもらってばかりで申し訳ないです」

生真面目な彼女がそんなことを言い出したのがきっかけだった。

「申し訳ないと言われてもな…俺は好きでやってるんだし」
これは嘘偽りない本音だ。アナスタシアに尽くすことが彼の喜びだったし、それを負担に思ったことはひとかけらもない。
が、それで引かないのもまた、彼女という人で。
「そうは言っても、やはり気にしてしまいます。私がティレル様に何かできることはないですか?」
「できること…できることねぇ…」
元々、彼はひとりでなんでも小器用にこなしてしまうタイプだ。必要なものは自分で揃えられるし、身の回りの世話に不自由したこともない。そもそも、彼女にやらせた方が後始末が大変なレベルだろう。自覚しているのかいないのかわからないが、彼女は戦いの面においては並みの男も顔負けな反面、料理や裁縫といった方面の技術は皆無に等しい。あのチンピラメイドが何くれとなく世話を焼くから無理もない。
彼自身にも物欲はそれほどなく、最近の欲求はもっぱら彼女に関することで…
「…ああ」
思い当たって、にやりとする。
「なにかありますか?」
少し嬉しそうなアナスタシア。
ティレルは満面の笑みを投げかけた。

「たまにはお前からキスしてくれよ」

ぴたり。
意気込んだ姿勢のまま固まる彼女。
ティレルはニコニコしたまま続けた。
「いつも俺からばかりだしな、たまにはお前からキスしてもらうってのも悪くねえよな」
「…っ、キっ……わたっ…そっ…」
カタコトにもならない声を漏らしながら、かーーーーっ、と音がしそうなほどに急激に顔を赤くするアナスタシアに、ティレルはもう何だかそれだけで満足だった。
はは、と笑って手を振る。
「なーんてな。冗談だよ。だから本当に何もいら……」
「いえ!!」
その言葉を遮って、真っ赤な顔のままずいっと顔を近づける。
「そっ……それがティレル様の、ご要望ならば……善処します!」
「善処」
「いえその!あの……私もその、いつも私ばかりがしてもらうのも……申し訳ない、と……」
「へぇ?」
意地の悪い笑みを浮かべて彼女を見下ろすティレル。
「じゃあ、お前も俺にキスしたいと思ってくれてるわけ?」
「それはもちろっ……ん、です!」
勢いと恥ずかしさが交錯しているその様子がたまらない。ティレルはさらに笑みを深めて、彼女に顔を近づけた。
「じゃ、よろしく」
「ふぇっ」
「キスしてくれるんだろ?いつでもいいぜ」
「……っわ、わかりました」
すー。はー。
胸を押さえて深呼吸。
何か覚悟を決めた様子で、ティレルの手を握る。
「…いい、行きます」
「よっしゃ来い」
ぐぐ。
握った手に力がこもる。
一向に顔が近づいてこない。
「……っふ」
「わ、笑わないでください!」
「悪い悪い。ほら、あとちょっと」

などというやりとりがループしながら、かれこれ5回目だ。

未だに近づかない距離。依然真っ赤な顔。
上目遣いで自分を見つめる紅い瞳は、そろそろ涙が落ちそうなほど潤んでいて。
握りしめた手がかすかに震えている。
そのなにもかもが、たとえようもないほど可愛らしくて、愛しくてたまらない。
このままずっと見ていたい気もしたが、鍛えた握力で握られた手がそろそろ悲鳴を上げだしたのも事実だった。
「まだかー?」
「ひゃっ」
ずい、と顔を近づければ、丸く見開かれた瞳に自分の顔が映っているのが見える。
くもりのない赤に映された自分の顔は、いつも目にするそれより好きになれる気がした。
ふにゃり。
胸からせり上げる愛おしさに、相貌が崩れていくのが自分でもわかる。
こんなに緩んだ顔は、彼女だけが知っていればいい、と思った。
「アナスタシアー?」
「うう、うーーーーっ!」

ちゅ。

ぎゅっと目を閉じると同時に、接触とも言えぬかすかな触れ合いが唇をかすめていく。
たったそれだけのことで、胸につかえていた愛おしさが全身に広がっていくような心地がした。
「……よくできました」
「ふっ……んんっ?!」
その衝動のままに彼女をかき抱いて、お返しとばかりに唇を重ねる。
かすかに開いていた唇から舌を滑り込ませ、奥へ奥へと絡ませて吸い上げる。
「んっ……」
最初は驚いて身を固くしていた彼女も、すぐに溶かされるように力が抜け、彼の背に腕を回してぎゅっと締め付けた。
それに気をよくしたように、さらに腕に力をこめ、角度を変えて口内を蹂躙していく。
どれくらい経っただろうか。
ようやく満足して唇を離すと、至近距離の彼女の瞳は先ほどよりも潤んでいる。
ティレルはすいと目を細めた。

「……次はこれくらいのやつ、頼むな」
「……しょ……精進します……」

息も絶え絶えに言う彼女に、さらに笑みが深まる。

次はどんな顔を見せてくれるのか。どんなキスをしてくれるのか。
それも大いに楽しみではあるが、今はひとまずこの可愛らしい彼女を、大いに愛でるとしよう。

“Kiss me, Sweet”2024.5.23.Nagi Kirikawa

キスの日のイラスト(キスの日)を描きながら、こんな感じかなあという脳内妄想をしていたのでそのまま文字にしましたw
ふれあいがありそうで意外にないお二人の、こんな付き合いたての高校生のような初々しいやり取りを延々と妄想してはニヤニヤしております。ナスチャはもちろんティレルさまも可愛い。それよりすごいこともしてるのにねー(ネー)一応時間軸はFD後の想定ではあります。