「しかし、おじさまもよくこんなもの作ったわよねー」
ミシェルは改めて、しげしげと辺りを見回した。

新年祭の折に、突如現れた謎の迷宮。
その正体は、今傍らにいる老人、ジョン・ウィンソナー(ファーストネームは都合により省略)が作り出したマジックアイテムによるものだ。
近くにいる意識を持った生命体の記憶を読み取り、それを元にして幻術を組み上げ、あたかも別の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を与える。ある程度意志の強いもの――例えば、彼女と老人のように――なら、その錯覚すらある程度はコントロールできるのだが、普通の人間は突然わけのわからぬ世界に迷い込んでしまったように思うだろう。
ジョンがマジックアイテムそのものに微弱ではあるが意思を与えてしまったため、今彼らはこうして逃げ出したマジックアイテムを捜して迷宮の中を彷徨っている、というわけだ。

「ちいと、力を強くしすぎたかの。動力源の魔力が無くなれば停止するんじゃが…はて」
「現世界には、たまーに思いもよらない力を持った子が現れるからねー……」
天界に目をつけられなければ良いけどー、と、これは口には出さずに言って、ミシェルは嘆息した。
「私が言いたいのは、そうじゃなくてー。
どうして、こんな迷宮を作るような授業をしてるの?っていうことよー」
ミシェルの問いに、ジョンはきょとんとして彼女を見上げた。
それから、に、と髭だらけの顔中で笑って見せて。
「そらお前さん、人の心というのは最大の迷宮だから、じゃよ!」
「最大の、迷宮ー?」
首をかしげるミシェル。
ジョンは上機嫌で頷いた。
「そうじゃよ。人の心は、自然や人が作り出すダンジョンよりずっと複雑怪奇じゃ。
我ら幻術士は、心と対峙する魔術師。人の心の迷宮を読み解けぬようでは、幻術に逆に飲み込まれてしまうのがオチじゃ。
若いやつらには、まずそれを教えてやらんといかんのじゃよ」
「本音はー?」
「こないだのエリウスをからかったのが思いのほか面白くての!……って何を言わせるんじゃ!」
ノリツッコミをしてから、ジョンはふっと表情を崩した。
「……セラフの心も、迷宮だったんじゃよ」
優しい声音でジョンが言うと、ミシェルの表情が一瞬こわばり…そして、ゆっくりと目を開いた。
一見静かに波打つようでいて、奥底に戸惑いをはらむ薄紫の瞳は、本当に彼女の父親譲りだ、と思う。
規律を守り、周囲に認められることを何より重んじた男だった。生まれ持っての才覚もあり、賢人議会にまで上り詰めたが……その一方で、彼は常に不安にかられていたのではないか。認められぬということが彼の存在理由をも脅かすがゆえに、必死だったのではないか。
そしてその不安を、そのまま娘に向けた――
「あやつはあやつなりに、ミシェルちゃんのことを思ってのことだったんじゃ。
それは、わかってやってく……」
「……おじさま」
ジョンの言葉を遮るようにして、ミシェルは落ち着いた声音で言った。
「私は、父が…天界が嫌で逃げ出したのではないの」
「………」
その表情には、先程までのような笑みは浮かんでいなかったが。
しかし、昔の彼女のような、心を持たぬ無表情ともまた違っていた。
「私は、父のことも…いえ、天界の誰のことも、嫌いじゃなかった。それは今でもそう。
嫌いじゃない…いいえ、嫌いより酷かったかもしれないわ。
私は彼らのことを、何とも思っていなかった」
淡々と言って、目を閉じて。
「私は、彼らの望みを叶えるための道具だった。そしてそのことに、私は何の疑問も持っていなかった。
おじ様の言うように、人の心が迷宮だとするなら…私の心はさしずめ、分岐点のない大きな一本道だったのよ。
何も迷うこともない。悩むこともない。それは、ある意味幸せなことなのかもしれないわ」
それから、再び目を開けて。
「私は、ここに来て…あの人に会って。
初めて……私の心が、迷宮なのだと知ったの。
私の心は、迷宮で……でも、それが正しいあり方なんだって、それでいいんだって、あの人が教えてくれた……」
瞳を開けたまま、何かを懐かしむように、うっすらと微笑む。
「だから…私は、私が私でいられる場所に来たの。
私の心は、迷宮なのだと。そう受け入れたら……不思議なものね。
父のことも、他の誰のことも、以前よりずっと近くに感じられるようになった」
「……近くに、とな?」
ジョンが相槌を打つと、ミシェルはにこりと微笑んだ。
「私の心が迷宮であるように、父の心も、他の人の心も……フィーヴの心も。同じように迷宮なのだと思ったのよ。
みんな、御しきれていると思っていても、いつでも持て余して迷っている……みんな、同じなんだ、って」
ミシェルの言葉に、ジョンは嬉しそうに目を細めて。
「……ミシェルちゃんは、迷宮を抜け出せたようじゃな」
「うふふ、迷宮を抜け出したら、また新しい迷宮があるのよー」
ミシェルもにこりと笑って、元ののんびりとした口調に戻る。
「でもひとまずは、おじさまの作り出した迷宮をクリアしなくちゃねー。ほらほら、サボってないで早く魔力の波動を追ってー?」
「……お前さん、ホントに変わったのう……」
複雑そうな表情で言って、ジョンはまた意識を集中した。
「……おっ。これは……」
「見つかったのー?」
「いやいや、こりゃ……うちのエリウスとお前さんとこの嬢ちゃんじゃ」
「えぇぇ?……それは、偶然ねー…」
ミシェルの表情からすっと笑みが消えて。
その様子に、ジョンはまた楽しそうに笑みを浮かべる。

なるほど、迷宮を抜け出せば、また新しい迷宮が待っているのだろう。

「こりゃあ面白い。どれ、行ってちょっとからかってくるとするか」
「ちょっ、おじさまー?そんなことして大丈夫なのー?」
「平気じゃ平気じゃ、行くぞミシェルちゃん!」
「もー……知らないわよー?」

“Labyrinth” 2009.12.2.Nagi Kirikawa

HNY2、クルムさんたちに遭遇する前のミシェルとヨンさまのやり取りです。
こっそりミシェル父の名前も設定。多分出てくることはありませんが(笑)一応、ヨンさまはミシェル父の先生という設定であります。
ミシェルは天界のことは、未練がないというか、すっかり整理がついちゃってる感じです。フィーヴのことだけちょっともやもやしてて、その息子のエリーがリーと仲良くするのもちょっともやもや。それを生暖かく見守るヨンさま。そんな構図。