第3週・ルヒティンの刻

からん。

開店早々に響いたドアベルの音に、マスターと執事は準備の手を止めてそちらを向いた。

「おはようございます……ってあれ、もうやってますよね?」

現れたのはミケ。
少し疲れたような表情で、伺うように店内を見ている。

マスターはにこりと微笑んで頷いた。

「もちろん。いらっしゃーい、好きなところ座って?」
「あ、はい。ありがとうございます…」

よろよろとカウンター席につくミケ。
そこに、執事が恭しく水とお絞りを出す。

「いらっしゃいませ」
「あ、ありがとうございます……ってあれ?」

綺麗に微笑む執事の顔に何か見覚えがあったのか、きょとんとするミケ。

「あなた確か……えっと、アルヴさん、でしたっけ。ナイトメア・ホテルの」
「ご記憶でいらっしゃいましたか。光栄でございます」

にこり、と微笑む執事。
ミケは少しだけ嬉しそうに相貌を崩した。

「その節は、お世話になりました。……っていうか、アルヴさんこそ僕のことを覚えているんですか?」
「いらっしゃったお客様のことは全て覚えておりますよ。ミケ様、お元気なようで何よりでございます」
「はは、本当に覚えてるんですね」
「大変美味しく頂きましたから」
「へっ?」
「いえ、こちらのことでございます」
「…っていうか、今日は何故、こちらに?」
「こちらのマスターとは懇意にしていますので、お手伝いを」
「へー、そうなんですかー」

特に疑問に思うことなく受け入れているミケ。
登録PC中事実上唯一、マスターの正体を知っている彼であれば、そのマスターと『懇意にしている』ということがどのような意味であるか推し量ることも出来ただろうが、現在はそれも出来ないほどにお疲れであるようで。
マスターと執事はそのことにはあまり触れずに、流れるように注文を聞いた。

「今日は何にするの?」
「そうだな…サンドイッチと胃に優しい飲み物をください。ポチには出来うる限りいいホットミルクでお願いします」
「出来うる限り……王室御用達のゴールドクラウン三ツ星ランクの乳牛のミルクなら金貨3枚で出せるけど」
「すみません言い過ぎました…いつもよりちょっといいミルクでお願いします…ていうかそんなミルク入荷してるんですか」
「ふっふっふ、僕に不可能はないのだよ」
「そうですか……」
「お疲れみたいだねー。胃に優しい飲み物だとあんまコーヒーとか紅茶は良くないかな。ポチくんとおそろいでホットミルクにする?蜂蜜入りの」
「あ、じゃあそれでお願いします…」
「それか、アルヴんのハーブティーもお勧めだよ?カフェインないし、疲れも癒してくれると思うけどな」
「ハーブティー、ですか?」

きょとんとするミケに、執事がにこりと微笑みかける。

「はい。マスターが仕入れてくださるハーブを使用して、わたくしがブレンドさせていただいております。お疲れになったお体もリラックスできますよ」
「そうなんですね……食後にお願いしようかな」
「かしこまりました」

執事は嬉しそうに微笑んで礼をし、そのままカウンター背後のハーブ棚からあれこれとごそごそやりだした。
その一方で、マスターは手早くサンドイッチとホットミルクを作ると、ミケの前に出す。

「はい、どーぞ」
「ありがとうございます」

出されたサンドイッチは卵と温野菜を中心とした優しい味付けのもので、疲れ気味のミケも美味しそうに頬張っている。
その隣でホットミルクを舐めるポチもご満悦の様子だ。

「で、その封筒は?」

サンドイッチを食べ終わり、ホットミルクで一息ついていたミケに、傍らに置かれた封筒について訊いてみるマスター。
一般的な手紙、という風ではなく、魔術師ギルドの刻印の着いた正式文書らしき様相の封筒を、ミケは若干緊張した面持ちで手に取った。

「先日のお仕事の評価と、いくらもらえるかの連絡が来ました……」
「ああ、なんだっけ、レポート?」
「はい。…ここで開けていっていいですか……?」
「まだ開けてないの?!」
「だって怖いじゃないですか!」
「すっごい情けない本音を大声で言わなくても!」
「自分で料理作って食べてから開けようとも思ったんですが、そうするとすごい凝った料理を作ってしまいそうで」
「ますます意味がわからないよ…」

もっともな返しをするマスターに、ミケは手紙を握り締めてカタカタと震えだした。

「真面目に、凄く頑張って書いたんですけれど……」

自分を落ち着かせるように水を飲み、ぶつぶつと何かを言いながら握り締めた手紙を凝視するミケ。
マスターは困ったように執事に目をやり、早くハーブティー出してやったほうがいいんじゃないか、とサインを送る。
執事がそれに応えようと、ポットに手をかけた時だった。

「……よし、やれる!マスター、レターナイフ借りていいですか?」

唐突に言ったミケに、マスターはびくりと体を震わせて振り返った。

「へっ?あ、ああ、レターナイフね、ちょっと待って」

若干挙動不審気味にバックヤードに引っ込むと、ややあってレターナイフを持って帰ってくる。

「はいどうぞ」
「はいっ……!」

やはり心配なほど震える手つきで慎重に封を切るミケ。
そして、カサカサと中身を取り出して、目を通す。

「あ、凄い。めっちゃいいお金になりました。……あ、優がついてるー、わーい」
「へー、よかったじゃん」

軽く喜んでから。

もう一度見て。

大事なことなのでもう一度見て。

「え、本当に?」

今更のように驚くミケに、マスターと執事が絶句する。

「ミケくん大丈夫?もうどっからつっこんでいいのかもわかんないよ?」
「ハーブティーのブレンドを変えたほうがよろしいでしょうか…」

口々に言う彼らの言葉も耳に入っていない様子で、信じられないという表情のまま手紙を凝視するミケ。

「子供用の教本から読み直して、母上の魔導書読み込んで、でも結局、自己流で書いて。凄く頑張ってみたんです。多分、今の僕でできる限りのレポートになった、んですけど。あれ……どうしよう」

気を落ち着かせるようにモフモフと猫を撫でている。ポチはあからさまに迷惑そうで見事なまでのイカ耳になっているが。

「で、どうするの?帰るの?」
「帰ります」

直球のマスターの質問には、意外なほどの即答があった。

「自分でもそう決めたし、全力でやった結果が出たんですから。でも、なんでしょうね、自分でなんかこう、実はあれだけやっても駄目だった、というのを想像していたので、どうしていいのか、よくわからなくなっちゃって」

はは、と乾いた笑いを浮かべるミケ。

「……僕、帰って、いいのかなぁ……?」
「それは、誰に訊いてるのかな?」

マスターはいつの間にか、ミケの正面に頬杖をして笑顔を向けていた。
その言葉に、苦笑するミケ。

「昔の自分に、ですかね……」
「それで、昔のミケくんは『いいよ』って言ってくれたの?」
「…………」

さらに猫を撫で続けていた手を、「いいかげんにしろ」とばかりに猫パンチされ、ミケははっとして手を離した。
それから、さらに深く苦笑する。

「マスター、ありがとうございました。前回来たときにきっかけくれて助かりました。……ちょっとうちまで帰ってきます」
「そうだね、それがいいよ。ちょっと帰って、ゆっくりしといで」
「はい……」

そう言うミケの表情は、どこか嬉しそうな、ほっとしたような様子で。

「で、ザフィルスのお土産は何がいいですか?」
「お土産?いいよ気ぃ遣わなくて」
「まあそういわずに、気持ちだけでも」
「うーん、ザフィルスって何があるの?」
「名物ですか……名物って言われると馬ですけど、それは無理ですねえ」
「銘菓とかないの?」
「銘菓…焼きまんじゅうとかですかね」
「なにそれ美味しい?」
「蒸したお饅頭に、甘い味噌ダレをつけて焼いたものです」
「……美味しいの…?」
「…僕は美味しいと思いますけど…」
「うーん、お菓子じゃない食べ物は?」
「んー、ヌードル系ですね」
「ヌードルっていうと?」
「うどんって、小麦粉を練って作った麺です。おっきりこみとか、ミズサワうどんとか、タテバヤシうどんとか、ひもかわうどんとか、タカサキ福々うどんとか、クサツミうどんとか」
「何でそんなにうどんばっかバリエーション豊富なの?!」
「あとはお酒とか?」
「僕お酒はあんまりなー。じゃあその焼きまんじゅうでお願い」
「わかりました!」
「おうちにあてて、こっちのお土産は持ってかなくていいの?」
「それもそうですね……マスター。少し日持ちする焼き菓子とかありますか?持ち帰りでお願いします」
「え、うちのお菓子お土産にするの?フェアルーフの名産品とかじゃなくていいの?」
「そういえば、フェアルーフの名産品ってなんですか?」
「ミケくん何年ここにいるの…?」
「リアルでカウントすると16年くらいだと思います。僕は二十歳ですが」
「はいはいメタ発言禁止ー」
「まー、マスターのところのお菓子は何食べても美味しいから大丈夫ですよ」
「んもー褒めても何も出ないよー?じゃあ、適当に作ってあげるけどさ、時間かかるよ?」
「え、今から作ってくれるんですか?僕は今日は1日暇なので、待ってますけど…」
「じゃー、それまでアルヴんの煎れたハーブティーでも飲んでて?」

マスターが指し示す先に、執事がニコニコとポットを持って立っている。
その完璧な笑顔に若干の寒さを覚えるが、ミケは素直に頷くことにした。

「じゃあ、お願いします…」
「どうぞ、ごゆっくり」

カウンターに出されたハーブティーを飲みながら、ミケは再びギルドからの通知とにらめっこを始める。

「とりあえず、クローネ兄上に『今から帰るね』って手紙出した方がいいかな……?ギルドの転移装置とか使わせてもらったら、すぐに帰れるんですよね、王都万歳。そういえば、いくらくらいかかるんでしたっけ、転移って……」

なおもぶつぶつと独り言を言い続けるミケを、執事が満面の笑みで見守っているのだった。

第3週・ミドルの刻

「……寝てる?」
「ええ、ぐっすりと」

ランチタイムの頃には、ミケはカウンターに突っ伏してすやすやと眠りこけていた。

「さすが、カーリィのハーブの効き目は天下一品ですね」
「アルヴんのブレンドも良かったんじゃない?」

お互いを褒めあってから、マスターはふと執事に訊いた。

「で、ミケくんには何の夢見せるの?」
「これから家へ帰ると仰っていましたし、ご家族の夢はいまいち効果が薄いかもしれませんね…」
「ホテルに泊まったときは家族の夢を見てたんだ?」
「ええ、まあ。でも、和解されてしまうのでは……つまらないですね」
「アルヴん、本音本音」
「これは失礼いたしました。しかし、家族の他に会いたい人がいないとなると……」
「なると?」

一呼吸置いて。

「…会いたくない人に会っていただくしか」
「会いたくない人……」

そこに、計ったようなタイミングでドアベルが鳴る。

からん。

「お久しぶりです、カーリィさま」

やってきたのは、桜色の装束を着た人魚の少女。
マスターはぽんと手を打った。

「やっほー百合ちゃん、いいところに」
「いいところ?っていうかそこにいるのミケさんじゃないですか、どうしたんですかそんなところで寝ちゃって。さてはアルヴさまが一服盛りましたね?」
「これは人聞きの悪い。正解ですが」
「ということは、この状態のミケさんにやりたい放題ということですね?」
「さすが百合ちゃん、空気の読める女~」

楽しそうにかけあいをしながら、百合ちゃんと呼ばれた少女は寝ているミケの傍らに歩み寄り、その耳元で何事かをささやき始めた。

「みーけーさーん」
「会いたかったですうぅぅミケさあぁぁぁん」
「ひどいっあの時私に言った言葉はみんな嘘だったんですねっ」
「あなたの子よ!」

「だんだんエスカレートしてるみたいですがいいんですか」
「いいんじゃない楽しそうだし」

その様子を、マスターと執事が楽しそうに眺めているのだった。

第3週・レプスの刻

「……あれ、僕、寝てましたか」

ミケの目が覚めたのは、昼下がりもだいぶ下がった感のある頃だった。
マスターは相変わらずカウンターの中から、執事と同じように機嫌のいい笑みを向けている。

「おはよーミケくん。お目覚めはどう?」
「………なんだかものすごい悪夢を見たような気がします………」
「そっかー、カウンターで寝たからかもしれないね、気持ちよさそうに寝てるから起こすのしのびなくてさー。お疲れみたいだったし」
「いえ、寝こけてしまった僕が悪いので…すみません」

白々しいマスターの言葉に律儀に頭を下げるミケ。
マスターは欠片の罪悪感も見せず、はい、と箱を差し出した。

「クッキーとリーフパイの詰め合わせね。結構日持ちすると思うから、みんなで食べてね」
「あ、ありがとうございます。お会計を……」
「あー、いいよいいよ、すっごく楽しかったから」
「え?」

きょとんとしているミケの思考を遮るように、からん、とドアベルの音。

「いらっしゃーい」
「お久しぶり、マスター」

かつ、とヒールを鳴らしてやってきたのは。

「み、ミリーさん!」

長い金髪に気の強そうな緑の瞳をした化粧美人。どうやらミケと知り合いであるらしい。
ミリー、と呼ばれた女性は、声のしたほうに鷹揚に視線を向けた。

「あらミケ、久しぶり。元気そうね」
「は、はは、ミリーさんもお変わりなく……」

ミリーは乾いた笑いを浮かべるミケを一瞥し、それからカウンターの中にいるマスターと、さらにその隣の執事にもゆっくりと目を向ける。
そして、もう一度ミケに視線を戻して、にやりと笑う。

「…ふうん?」
「な、なんですか」
「いいえ、相変わらず色々なものを引き寄せる子だと感心していただけよ」
「なんですかその含んだような言い回しは。僕の身に一体何が?!」
「面白そうだから言わない」
「えええええ!」

ミケは不満そうにしながらも、こう言った彼女に何を訊いても無駄だと悟り、息を吐く。

「…まあいいです。そうだミリーさん、ギルドの転移装置って、使用料いくらだか知ってます?」
「転移装置?なんで?」
「実は、家に帰ろうと思いまして」
「あら、里帰り?いいじゃない。どこなの?」
「ザフィルスなんですけど、距離によって使用料が違ったりするんですかね」
「ザフィルスね。具体的には?」
「ええと……」

問われるままに具体的な住所を答えるミケ。
こういうところが災厄を呼び込むのだということを彼はまだ自覚していない。
ミリーは彼の話を聞き終わると、おもむろにその腕を取った。

「わかったわ。じゃあ、しっかりつかまってて」
「え?」
「深緑の跳躍!」
「え、ちょ、えええぇえ」

ふっ。

ミリーの姿もろとも、ミケの姿はあっという間に店内から消え去った。

2人が元いたカウンター席を呆然と見やるマスターと執事。

「…あ、ポチくんも律儀に連れてってるね」
「結局御代は頂いていませんが、よろしかったのですか」
「あー、まあ、いいんじゃない?面白かったし」
「そうですね」

2人はあっという間に気を取り直すと、ミケが座っていた席を黙々と片付けるのだった。

第3週・ストゥルーの刻

「いやー、お客さんまさかの実質一人」
「しかも無銭飲食でしたね」
「アルヴん辛辣ぅ~」

今日もまた、カウンターの中でそんな軽口が交わされているところに。

からん。

「いらっしゃーい。来る気がしてたよ、チャカちゃん」

マスターの声に、ドアをくぐってきた少女は妖艶な笑みを浮かべた。

「お久しぶりね、カール兄様」
「ひっさしぶりー。てか随分ご無沙汰だったよね。元気だった?」
「ええ、まあ」

チャカと呼ばれた少女は、ゆったりとした足取りでカウンター席に座ってから、傍らの執事にも視線をやる。

「アルヴもお久しぶり」
「ご無沙汰しております、チャカ様」
「珍しいわね、こんなところに遠征するなんて。ホテルは潰したの?」
「ご冗談を。偶にはこのようなところで旧交を温めるのも良いかと思いまして」
「ふぅん?」

チャカは面白そうにその綺麗な容貌を見上げ、おもむろにマスターに視線を戻した。

「…お勧めのワインでももらえる?」
「りょー」

マスターはくるりとチャカに背を向けて、ワイン棚の瓶を物色し始める。
やがてひとつを取り出し、鮮やかな手つきでその栓を抜くと、執事が用意していたワイングラスに注いだ。

「はい、どーぞ」
「ありがと」
「チャカちゃんもイシュたんに言われて来たの?」
「イシュ姉様とは久しぶりに遭遇したけど、相変わらずね」
「だねー」
「ロキ兄様も何かしてるみたいだし、アタシもそろそろ何かしようかしら」
「ま、それがイシュたんの策略なんだろうしねー」
「兄様は何もしないの?」
「僕?」

妹の発言に、マスターは意外そうに自分を指差した。

「僕は今のこの状態が楽しいから、特にいいかな」
「そう?」

楽しそうに目を細めるチャカ。
マスターは苦笑した。

「その感じだと、なんかまたこき使われちゃう感じ?僕」
「あら、人聞きの悪い」

チャカはくすくすと笑い、細い指をつっとマスターの顎に向ける。

「楽しそうな兄様の生活に、もっと潤いをあげようとしているんじゃない?」
「はは、お手柔らかにね」

仕方なさそうなマスターの言葉に、くすくすと楽しげな笑い声が絡み合う。

外ではじんわりと夜が更けていく中、ハーフムーンの店内も、じんわりと妖しげな空気が満ちていくのだった。

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