ミケの悪夢-仕舞いこんだ真実
かーん……かーん………
遠くで、鐘の音が響いている。
ぼんやりとした意識が、徐々に覚醒していく。
ここは、どこだったか。
見覚えのある景色。
そして、聞き覚えのある鐘の音。
聞き覚えのある……だが、もう二度と聞きたくはない、鐘の音。
母の、弔いの鐘だった。
そう認識した時、ミケの意識は急激に形をとった。
きょろきょろと、あたりを見回す。
あたりには、黒い服を着たたくさんの人。印象が年若いが、見覚えのある親戚の顔だった。
彼らの腰くらいまでの身長しかない自分を、少し不思議に思う。
(子どもの目線って、こんな感じだったんですねぇ)
そう、夢の中の自分は、確かに子どもの時の自分だった。しかし、それを認識しているのは紛れもなく、「今」の、大人の自分だ。
明晰夢、というのだったか。
自分が夢を見ているのだと、夢の中で自覚する夢。
(家族の話をしたから、思い出したんですかね…)
目の前に広がる鮮やかな景色は、何もかもがあの時のままで。
しかし、あの時よりも知識も経験も積み重ねた自分には、少し違った景色に見える。
それが何とも不思議だった。
再び、あたりをきょろきょろと見回してみる。
黒服を着て参列している親戚の最前列には、父の姿。その横に、長兄と次兄。
自分の隣で泣きそうな表情をしているのは、姉。
親戚も取り乱す様子もなく、静かに悲しんでいるのがうかがえた。
あの時、自分はどうしていただろう。
茫然としていて、涙も出なかったような記憶がある。
その時は聞こえていなかったのか、いや、耳には入っていたけれど理解はしていなかったのか、ぽそぽそと囁く親戚の声が届いた。
「まだ小さな子がいるのに……」
「でも、ちゃんとしていて、立派な子たちね……」
「そうでなくては、困りますけれど」
(何様でしょうかね……人の家のことなんだからほっといてくれたらいいのに)
微妙にムカムカしながら親戚の話を聞いているうちに、いつの間にか葬儀は終わってしまったようだった。たくさんいた人々が一人減り、二人減り、いつの間にかまばらになっている。
「ミケ」
呼ばれて、はっとする。
振り向くと、隣にいた姉…ノーラがぽろぽろと涙をこぼしていた。
親戚がいることでどうにか堪えていたものが、帰ったことで堪え切れずにあふれ出たようで。
「ミケ、かなしいわね。さみしいわね」
涙を流しながら言う姉を、彼はどこか憐れむような気持ちで見つめた。小さい頃の自分も、こんな気持ちになったのだろうか。
「はい」
自分の意志とは関係なく、姉の言葉に答える自分。
明晰夢は自分の望む夢が見られるというが、この夢は単に自分の記憶をトレースしているだけのようだった。思い出せるようで思い出せない、小さいころの記憶を。
姉はミケの言葉にさらに悲しみを募らせたようで、ますます涙があふれていく。
「くすんくすん、な、ないてはだめよ。わたくしが、ついていますから。かなしいけれど、さみしいけれど……だいじょうぶですからね!」
「はい、あねうえ」
ぎゅっと抱きしめられて、そう返事をする。
慰めの言葉は、しかしミケにではなく、自分に言い聞かせているように感じられた。ミケに言うというていで自分に言い聞かせなければ、悲しみを制御できないのだと。
「わ、わたくしっ、わたくしが、おかあさまのかわりになりますからっ!いつでも、っ、ついて、いますからっ!さみしく、ないのよ?」
「……はい」
泣いている姉を慰めるように、自分を抱きしめる姉の背を優しくさする。
この時も、子供心に彼女を慰めなければと思っていたような気がした。
(…………ああ……それで、この人は……僕の世話をし続けようって決めたのか……)
しみじみと、そう思う。
そうしないと一人で立つことすらできなかったのでは、と言われたことを思い出す。
確かに、こんな彼女を見ると…泣きたかったのは、寂しかったのは、彼女であったのだと冷静に思う。
そして、泣いている彼女が、寂しくないようにと返事をしたのは、自分だった。
(……ここで、嫌です、っていう選択肢はなかったとはいえ……半分は自分のせいだったんですね……)
それがよもや、息苦しい束縛に近いほどの面倒を見られる結果になるとは。それはやはり、彼女のためにもならないことであったので、なんとなく申し訳ない気分になる。
「うっ、うう……。わたくしも、ないてばかりでは、だめですわ……。ごめんなさいね」
姉は自分に言い聞かせて、ようやくミケを解放した。
「おかあさまに、そなえるおはなを、よういしてまいりますわ」
待っていてね、と微笑みかけて、駆けていく姉。
それを見送ってから、幼い日の自分は他の家族を探して歩き始めた。
(……あ……れ?もう、この辺りのこと、全然……覚えていない……)
曲がりなりにも魔術師であるのだ、記憶力は悪い方ではない。しかし、先ほどの姉のエピソードもすっかり忘れていた自分に気づく。
子どもの頃の記憶というのは、かくも曖昧なものだろうか。
とす、とす。
おぼつかない足取りで、幼い自分は晴れ渡った空の下を歩いていた。
やがて、墓地の片隅にある大きな木のところに、誰かいるのを発見する。
見知ったその姿に、自分は足早に駆け寄った。
「グレシャム、あにうえ?」
長身の男性は、そう呼びかけられてハッとした様子で振り返った。
ほろり。
頬に光るものに、幼い自分が…そして今の自分も、驚愕して言葉を失う。
(…涙……?)
正直、長兄が泣いているところなど、生まれてこの方見たことが無かった。否、この記憶が本当だとするならば見ているのだろうが、にわかに信じがたい。
「ああ、すまないな。どうした、ミケ?」
さっと涙をぬぐい、いつものように淡々と問うグレシャム。
しかし、涙を見てしまったばつの悪さから、幼い自分はどう声をかけたものかと言葉を詰まらせた。
「あ、の」
こんな場面を見てしまったら、大人の自分だとしても戸惑わない自信などない。
グレシャムはそれを察してか、苦笑して幼い自分の顔を覗き込んだ。
「私だって、悲しいんだが?」
「は、はい、そうですよ、ね」
その苦笑の表情すら見たこともない。幼い自分は戸惑いながら、無難な返答をする。
「そんな顔、するな。私は、大丈夫。心配しなくていい」
「……はい」
優しい声音で言われ、心配もさせてくれないのか、と寂しい気持ちになったことを思い出す。
だが、今。知識も経験もある『彼』にならば、理解できた。
グレシャムは自分を気遣って、涙を見せぬようにしてくれていたのだと。小さな弟のために、取り乱してはいけないと思っていたのだと。
「ノーラは?」
「ははうえのための、おはなをとりにいくと」
「そうか。では、すぐに戻るな。もうすぐ、集まらなければならないから、余り遠くには行かないように」
「はい」
いつもの淡々とした言葉に、頷く自分。
グレシャムは嘆息して、あたりを見回した。
「後は、クローネか。私も探すけれど、お前ももし近くで見かけたら、もうすぐ時間だと伝えてくれないか?」
「はい」
もう一度頭を撫でて去っていくその姿には、先ほどの波なの残滓も感じられない。夢だったのか、とすら思うほど。
『母の臨終に際してさえ、涙を見せずに凛としていたあの方々は立派だったと……思います。僕には……真似できませんでしたけども』
夕食で自分が語った言葉を思い出す。
(そうじゃ、なかった……?)
長兄が涙した、などと。そんな衝撃的なものを目撃したら、忘れるはずがないと思うのだが。
そんなことを思っていると、幼い自分は長兄の命令を達成すべく、次兄を探すために駆け出していた。
人が足を踏み入れないような、建物の陰にいたクローネを見つけたのは、それからすぐのことだった。
「っ」
先ほどの教訓を生かし、急に声をかけるのはやめた幼い自分。
しかし足音は聞こえていたようで、クローネはゆっくりと振り返った。
その頬に涙が無いことに、なぜかホッとする。
「クローネあにうえ」
「ミケか。うん、どうした?」
にこり、といつものように笑う。
だが。
「あの」
「ん?」
幼い自分も、そして「今」の自分も、直感的に感じていた。
彼は今、顔の筋肉だけで笑っている。
幼い自分が戸惑っていると、クローネはあははと声を出して笑った。
「どうしたの?そんな顔をして……泣いても、いいんだよ?」
しゃがみ込み、目線を合わせて。優しくそう言いながらミケの頭を撫でるクローネ。
「ミケ、ほら。お兄ちゃんは、大丈夫です」
が、幼い自分は何を思ったか、その手をそっと止めた。
「ミケ?」
「あにうえ、だいじょうぶ?」
言って、逆にクローネの頭を撫でる。
これには、「今」の自分も驚愕した。今の自分には絶対に出来ないことを、幼い自分はやっている。
そしてそれはクローネもまたしかりだったようで、自分の頭を撫でるミケを、目を丸くして見つめている。
「や、やだなぁ、ミケ。俺は、平気だってば」
おどけてそう言ってみるが、幼いミケは撫でるのをやめない。
「大丈夫だって、言ってるのに、な」
ははっ、と力なく笑った兄の瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ちる。
「あ、れ?……っく、ご、ごめ……。こんな、はずじゃ……ちゃんと笑える、はずなのに」
「……に、うえ」
「頑張ってた、ん、だけど、な。ミケ、ちょっとだけ、ごめんね」
幼い自分に撫でられながら、クローネはひとしきり涙をこぼした。
やがて涙をぬぐうと、彼は泣き笑いの表情を浮かべてミケに言う。
「格好悪いところ見せて、ごめん。……忘れて?」
「……はい」
こくり、とうなずく自分。
クローネはにこりと綺麗に笑って、立ち上がった。
その表情にはもう、辛さも不安も見られない。
否、見られないように、していたのだ。
長兄の、冷たささえ覗かせる冷静さ。
次兄の、周りを温かく和ませる明るい笑顔。
完璧だと、思っていた。
涙を見せない、動揺しない、いつも冷静で、いつも明るくて、自分の意思をコントロールできる、完璧な人たちだと。
だが、そんなことは無かったのだ。
長兄の冷静さにも、次兄の明るさにも、その裏側には悲しみも苦しみも葛藤もあって。
彼らは必死に努力して、それを見せまいとしていたのだ。
完璧であろうと、完璧であらねばならないと己を戒めていたのだ。
(そうだ、これは……実際に、あった事、だ)
茫然と、そんな思いが浮かぶ。
実際に目にして、記憶していたこと。だからこそ、こうして夢に見ている。
だが、今まで忘れていたのは。
『格好悪いところ見せて、ごめん。……忘れて?』
『……はい』
(…………それで、素直に、忘れることにした、の……?)
兄たちが「完璧でありたい」と思っていたように。
自分もまた、兄たちには「完璧であってほしい」と願っていた。
だから、記憶の中から消し去った。
(空気、読み過ぎじゃないかな、自分)
幼い自分は、思うよりずっといろんなことを見て、感じていた。
大人になってすっかり空気が読めなくなったのは、痛いところだが。
(……僕と、変わらない、んですよね。当たり前ですけれど。……当たり前の、はずだったのに)
まだどこか信じられない気持で、兄の様子をうかがう。
「で、ミケ、どうしたの?」
「あ、あの、グレシャムあにうえがそろそろじかんだと」
「ああ……そうか。あの人はまた、取り乱しもせずに淡々と指示出してそうだね……」
苦い表情で言うクローネ。
真実を知っているミケはしかし、グレシャムがそれを知られることを望んでいないからと口をつぐんだ。
兄たちもお互いに、お互いのことを隠し合うようなところがあったのだと、感慨深く思う。
「じゃあ、行こうか、ミケ」
「はい」
言って、まっすぐに前を向いたクローネの顔には、やはり先ほどまでの涙の残滓などかけらもなく。
そして、幼い自分は、幼いなりに考えたのだ。
悲しいけれど、それは自分でどうにかしなきゃいけない。
だって、この人達も悲しいのだから。そんなことを言って困らせてはいけない。彼らだって1人でなんとかしたのだから。
僕だって、1人でどうにかできるよ。
こどもだけど、手を繋いでもらわないと、差し伸べてもらわないといけない訳じゃない。
だから。
集まって歩いていく家族の背中は、何故だか遠い。それを一生懸命、幼い足を動かして追いかける。
涙もない、凛と前を向くその背は、格好良いと素直に思うが……それは彼らがそうあろうと努力しているからだ。
声をかけたら、手を差し出してくれるのは分かっているけれど、そうして欲しい訳じゃない。
そうやって、気遣って欲しいわけじゃなかった。
そうされると、自分が未だ何もできない子どもで、荷物になるばかりだと思ったから。
事実、騎士としての才能はなくて、これから先、彼らの背中は遠くなるばかりで、手を差し伸べられる度に傷ついたのは。
(あ、にうえ)
いつの間にか、視点は「今」の自分になっていた。
追いかける背中も、大人になった彼らのものに。
待って下さい、と口に出しかけて、辞める。
そう言えば、彼らは振り向いてくれる。それは事実として知っている。
でも、そうではない。それでは、意味が無いのだ。
自分の足で、自分の力で彼らに追いつかなければ、意味が無い。
走って、走って。
そうして、手を伸ばして。口から出た言葉は。
「…………!」
そのとき、彼らは。
「…………って、えー……」
伸ばした手の先に見えたのは、豪奢な天井だった。
徐々に、記憶が覚醒する。
迷ってたどり着いた、不思議なホテル。
その豪華すぎる一室に泊まり、自分はこんな夢を見た。
「にゃー」
使い魔の黒猫ポチが、おはようと話しかけてくる。
「えーとえーとえーと……おはようございます?」
心配そうなポチの声に、自分が涙を流していたことを知った。
ふ、と笑って、黒猫を撫でる。
「夢を、見ていただけですよ。絶対に追いつかないと、錯覚してたものに、追いつく夢でした」
悲しいのを、あのときでみんなは乗り越えてしまったのだと、思った。悲しいと思い続けているのは自分だけのような気がしていた。
彼らは、そんなことで揺らぐはずもない、と勝手に思っていた。
違うのに。
彼らだって、1人の人間だと知っていたはずなのに。
完璧でなど、ないと知っていたのに。
勝手に距離を作ったのは、自分自身だったのに。
(さっき、なんて言ってたんですか?)
ポチの感情が流れ込んでくる。使い魔と魔術師は精神で繋がっているため、ミケの精神もまたポチに伝わっているのだ。
使い魔の素朴な疑問に、ミケは少し考えて、言った。
「……僕も一緒に行きます、って。多分、あのとき、そう言えば良かったんですね。みんなそれぞれ悲しかったのに、僕は本当に、1人でどうにか追いつかないといけないって思いこんでいた。心配されるだけの子どもじゃなくて、1人の家族として、認めて欲しかった。……ただ、僕を、認めて、欲しかったんですねぇ……」
やだな、と呟いて、涙をぬぐう。
グレシャムも、クローネも。さらりとこなしていた剣術だって、人に見えないところで歯を食いしばって鍛錬し、努力して得たものなのだ。その姿を、誰にも見せようとしなかった、ただそれだけだ。何の努力もなく力を得ていたわけではない。
そんなことは、知っていた。知っていたはずだった。幼いころの自分は、今よりもずっと多くのことを見て、多くのことを素直に感じていた。自分の限界を知って、目核をしていた自分より、ずっと多くのことを知っていたのだ。
「……ねぇ、ポチ」
「うなぁん?」
「……今の時期、実家ではきっと綺麗な景色が見られますよ。……旅費貯めて、行ってみましょうか?」
喉を鳴らしながら頭をこすりつけてくる使い魔の頭を撫でながら、ミケはぽつりとつぶやいた。
「なんでだろう、『馬鹿だな、何言ってるんだ』って言われそうだな……」
会いたい人に、夢で会えるホテル。
窓から見える、あの時のような澄んだ青空を見上げながら、ミケはどこか、自分の心がその空と同じように透き通っていくのを感じていた。